独断と偏見3.本気で死刑を回避したいなら「暴論」はよせ

 さて、前頁までは弁護士の法的業務の正統性を訴え、どちらかというと弁護士に同情的な論を展開して来たかが、ここからは内容的に弁護士に対して辛口な物となるだろう。


■被告に味方するからと言って、何を言っても、何をしてもいい訳ではない!
 弁護士が被告人の味方になり、被告に有利な主張を行い、被告に不利な言動は一切行わないことが責務であるのを承知の上で、表題にあることを物申したい。
 つまりは、

 「同意を得たいと思うのに、相手を怒らせてどうすんねん?」

 ということだ。
 実例を挙げるが、余りの凶悪犯罪を無理矢理にでも庇おうとして、一般常識では理解し難い内容の弁護が為されたケースで、俺が凄まじく激昂した例が二つある。

 一つは山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審において、被告Fのために手弁当で駆け付けた二一人の弁護士に対してだ。所謂「ドラえもん」や「蝶々結び」を主張したことに激昂した人は百人や二百人ではきかず、、俺自身、「精神鑑定が必要なのは、Fじゃなくてこの弁護士どもじゃないのか!?」と考えて憤慨したり、逆に、「もしかして、実はFを弁護する振りをして、実際には死刑に追いやるのが目的なんじゃないのか?」
 などという逆説的(?)な疑問を抱いたりもした。
 俺の記憶が確かなら、集まった弁護士の中には、こんな内容では却って被告のFを救えないと考えて弁護団を離脱した者もいた筈だ。それぐらい呆れ返るしかない内容だった。
 少なくとも俺がFの父親で、「極悪な息子でも命だけは救いたい……。」と考えたなら、あの弁護団は即刻で解任していただろう(←まあ、あの親父もとんでもない奴だったから、まともな弁護を考えたとは思えんが)。


 もう一例は、宮崎県個室マッサージ店強姦事件だ。
 この事件に際して、T弁護士は被害女性に示談を持ち掛け、示談に応じれば性行為を撮影した映像を渡すと持ち掛けた (←しかも示談金は0円!!)。
 はっきり言ってやる………完全にこれ脅迫だろう!?!
 勿論こんな脅迫まがいな暴論による示談が成立する訳はなく、件の映像も没収されたが、被害女性の立場に立てば本当にすべてが没収されたのか?との不安は決して拭えない。自分で撮影した映像なんていくらでもダビング出来るのだから。

 勿論、法の裁きを論議する場で、証拠の真贋判定や、有罪となるか否かの判決に感情による左右があってはならない。
 だが、人間は感情の生き物で、それは裁判官も、検察側検事も、原告である被害者も同様だ。情状酌量による減刑では被告の不幸な生い立ちや、追い込まれた状況や、止むに止まれぬ感情の在り様を訴えるのだから、理不尽な動機や、反省無き態度、有罪無罪以前に事件そのものと向き合わない姿勢が罰を重くさせても文句を言えない筈だ。否、権利的には文句を言うのは自由だが、不公平であるとの指摘は免れないだろう。

 説得ある内容や、真に同情を誘う事情、反省や悔悛を示す具体的な材料をもって減刑や無罪を訴えるなら、裁判官も軽くは扱わないだろうし、内容によっては被害者遺族に響くこともあるかも知れない。
 しかし、裁判ならずとも、伝える相手に「馬鹿にしてんのか?!」と思わせる内容や伝え方で己が要求を通そうと云うのは「ムシが良い。」を通り越して、「阿呆か!?」としか言いようがない

 勿論、罪状や裁判経過によっては、「有罪となれば死刑しかあり得ない。」というケースもあり、そうなると形振り構っていられないとの考えも起こり得るだろう。
 そして裁判官も、いくら相手の言っている内容に腹を立てたからと言って、それで有罪無罪を左右することは許されない。ただ、余りに荒唐無稽だったり、言い分が暴論としか言いようのないものだったりし場合、それが「反省無き態度」と受け止められ、量刑を左右するのは全くおかしい話ではない。

 一般論的に見て、暴論としか思えない論や、荒唐無稽な内容を裁判の場で訴えるのが被告の心底からの意志なら、それに味方せざるを得ないことも有るだろうけれど、事前に「相手を怒らしては厳罰を招きかねない。」という当たり前の理論を最低限伝えた上でのことなのだろうか?
 被告を、本当に死刑を初めとする厳罰から守りたいのなら、相手を怒らせないことの重要性を伝えるのも弁護士の大切な責務と俺は考えるが、どうだろうか?




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令和三(2021)年二月八日 最終更新