独断と偏見4.本気の反省を訴えての「減刑」を目指せ

■減刑の本質要因を考え直せ!
 量刑にしても、賠償額にしても、一般に「求刑×7割」となることが多いと云われている。まあ、そんな傾向は今に始まったことではないから、検察側もそれを見越して多めに求刑していることだろう。
 あくまで俺の推論だが、どうも法曹関係者、それも高位にある者ほど、「慈悲深さを見せる。」ということにこだわっているのではあるまいか?すべてのケースがそうだと決めつけるつもりはないが、判決が求刑を上回った例など極少だし、地裁判決が高裁で減刑されたケースと、地裁判決が高裁で加刑されたケースでは前者の方が圧倒的に多い気がする。

 まあ、俺の推論は置いておくとして、ここで押さえておきたいのは、「罪」に対する「罰」が軽減される要因だ。大雑把に箇条書きにすると、

・情状酌量………被告が当該犯罪に走らざるを得ないと思い込むのも無理なかった要因。
・反省・悔悛の情………やってしまった事に真摯に向き合い、謝罪・贖罪の念が強い。
・責任能力………心神喪失、心神衰耗、年齢的な未熟ゆえに責任能力が欠如している。または著しく微弱である。

 といったところだろう。
 これらの要因が被告に与えられる刑罰を軽減させること自体に異論はない。死刑判決が下される凶悪犯罪はこれらの要因がないか、それ等の要因を考慮して尚許せないほど凶悪かである。
 ただ、死刑を免れたい一心で弁護士がこれらの要因を主張する際に物凄い違和感のあるときがある。殊に凶悪犯罪のケースに多い(気がする)。

 「どう足掻いても死刑は免れない…。」と思われる際、まず無罪主張が行われる。
 勿論、被告がやっていないというなら無罪主張を行わなければならないのが弁護士の業務であるのは既に前述した。問題は、やったのを認めた上で無罪を主張するケースだ
 圧倒的に多いのは心神衰耗や心神喪失を理由に「責任能力なし」と訴えるというものだ。本職の精神科医が医学的にもそう間違いないと証言するのならまだしも、荒唐無稽な発言や、ぶっ飛んだ価値観をもって「狂人」ということにして、無罪を勝ち取ろうとしている…………「駄目元で取り敢えず狂ったことにしてねぇか?」と思ってしまうときがある。

 ただでさえ、精神に問題があったとしても、やられた側にしてみれば、「そんなこと知ったこっちゃない!!」となる。しかも精神問題を訴える内容が胡散臭かったり、こじ付けじみたものだったりすると、「卑怯な詐病」にしか映らん!

 すべての凶悪犯罪に当てはまるとは言わないが、罪が許されたり、罰が軽減されたりする要因の基本は、真摯に罪と向き合い、謝罪や贖罪の意志を示し、その旨誠意を込めて訴えることにあるのを弁護士には忘れないで欲しい。
 勿論、被告人が謝罪や悔悛を一切示さず、居直り的な主張をしても味方しなければならないのが弁護士の責務だが、可能であれば、しっかり罪と向かい合い、真摯な態度を示すことを説得するのも大切な責務であろう。



■死刑回避を訴えるからこそ向かい合うべきこと
 死刑存置論者で、凶悪殺人犯に対して極刑を求める傾向の強い俺でも、弁護士が少しでも被告の罪を軽くするよう努めるのは当然だと思っているし、その義務傾向からも弁護士死刑廃止論者が多いのも無理はないと思っている(死刑が極刑である以上、すべての弁護士は担当する裁判の場においては必然的に死刑廃止運動家となることだろう)。

 それゆえ、弁護士死刑を回避するために、刑罰を少しでも軽くするために、様々な材料を持ち出す。訴訟内容によりケースバイケースだが、証明能力薄弱な証拠の欠点を突いたり、情状酌量を訴えたり、心神喪失や、共犯者よりも従属的な立場であることや、悔悛の情を訴えたりして、減刑を求めることもある。

 まして、「人の命を救う。」という使命感に立てば、形振り構わっていられなかったり、手段を選ばない考えに走ったり、もまあ、分からないではない。
 だが、だからと言って、「何をしても良い。」、「何をやっても良い事。」というにはならない。少なくとも許しを乞うのであれば、被害者や判決を審査する人を怒らせては本末転倒だろう。
 となると、弁護するにしても、何を訴えれば、どんな意思を示せば被害者が多少なりとも被告に対する憎悪を軽減してくれるかという基本に立ち返るべきだが、それが少なく、とにかくすっとぼけや、責任のないことを訴えているケースが多い気がする。
 オウム事件において松本智津夫元死刑囚とその弁護士は、一連の事件を「弟子が勝手にやったこと。」として自らは無関係故の無罪を主張したが、仮にそれが真実だったと仮定しても、自分の作った教団関係者が起こした重大且つ凶悪な事件に対して余りに真摯ならざる法廷態度に俺は「一万歩譲って、事件に対して無罪だったとしても、人として許せん!」と思った。
 光市母子殺害事件でも被害者遺族の本村洋氏は、被告の死刑確定後の記者会見で、被告側が罪を犯した意思を認め、真摯に向き合い、謝罪や悔悛の意をしっかり見せていれば「或いは死刑は回避されたかも知れなかった。」と述べていた。
 本当に死刑を回避する為に見るべきものを弁護士には誤って欲しくないものだ。



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令和三(2021)年二月八日 最終更新