暴言三、大甘が犯罪を誘発してる現実を見んかい!

 痛い目を見ずして懲りることは無いと云うことだ。
 中には処罰に対する痛みとは関係なしに、事後の教導を受けて自分のやらかしたことを真摯に受け止め、反省を深め、謝罪や贖罪に邁進する元犯罪者もいるだろうけれど、自分が痛い目を見ないのに他人の痛みを分かるのはかなり難しい。
 その点、「処罰」よりも「教育」を優先している少年法は触法少年の充分な痛みを分からせることなく、それこそ「更生」を阻んでいるように感じてしまうことがある。



■件数が少なかろうが悪質なものは厳罰を課せ!
 現行少年法を重んじる方々の中には、「凶悪少年犯罪は減っている!」として少年法の厳罰化に反対する傾向がある。
 実際に減少しているかどうかは、未成年人口の推移や近年の厳罰化の影響、それ以外の要因(経済事情・教育事情等)を加味する必要があるので、断言は避けたいが、実際に件数は減っているのだろう。もっとも、これは刑法犯全体がそうである。

 ただ、少年法はあくまで触法少年をどう教導するかが目的で、身も蓋もない云い方をすれば、事後にその出番がやってくる訳で、「少年法があるから犯罪が減った。」とは思えない(触法少年の出所・退院後の再犯を防ぐには重要な存在だが)。
 故に、俺は刑法だろうと、少年法だろうと、件数に関係なく凶悪犯罪はしっかり厳罰を与えるべきだと考える。と云うか、被害者になった場合には絶対そう望む

 少し話は逸れるが、凶悪犯罪による被害者の支援に努められている犯罪被害者支援フォーラム(代表は高橋正人弁護士)は、例え犯罪率がどれだけ減ろうと、実際に被害に遭われた方々にとっては「100%」なのだとして、件数や発生率の減少を理由とした厳罰化反対を是としていない。俺も同感である。
 女子高生コンクリート詰め殺人事件の様なひどい犯罪が今後100年間怒らなかったとしても、100年後にそんな悲惨な事件に見舞われた遺族に向かって、「犯罪率は低いのだから、甘い刑罰でも我慢してね。」と云って通るだろうか?通る訳ないよな!
 まして、その凶悪犯罪が、過去の犯罪で少年法によって甘い罰しか与えられなかった前科者による再犯だったとしたら…………「少年法が然るべき罰を与えないからこうなった!」という心境に陥るのは全く不思議な話ではないだろう。



■「箔がつく」ぐらいにしか考えてない輩もおるぞ!
 道場主の馬鹿にも少年時代があった。そんな少年期に思っていたことだが、未成年でありながら補導では済まず逮捕され、少年院に送致されるような同年代を「恐ろしい存在」だと思っていた。
 実際に学生時代の同級生や知人に、所謂、「不良少年」・「非行少年」はごまんといたが、逮捕されたり、少年院に送られたりする者はいなかった(道場主の馬鹿の耳に入らなかっただけかも知れんが)。

 実感がないから、少年犯罪も少年院もある意味グレーな世界だった。
 周囲にいる不良さえ少年院に入る者はいなかったから、「少年院に入るほどの不良」となると、「とんでもなく恐ろしい奴」と云うイメージだったし、当時の漫画などでも「少年院から帰ってきた。」という設定の不良キャラはとんでもない極悪人のイメージだった。
 実際、刑務所や少年院を出た者が、「刑務所帰り」・「前科者」・「過去に人を殺したことがある」を脅し文句に使うケースがある。それがどれほどの頻度で行われるものかは寡聞して知らないが、女子高生コンクリート詰め殺人事件で服役したサブリーダー格の男は出所後に傷害事件を再犯した際に、被害者を脅すのに過去の事件を口にしていた。
 また、道場主の馬鹿は実際に少年院を出たことのある人物(←罪状もどんな罰を受けたかも知りません)が、少年院に入ったことがあるのを武勇伝みたいに語っていたのを眼前にしたことがある。幸い、道場主の馬鹿がその人物から危害を加えられることは無かったが、その人物は行動はともかく、言葉や態度は傍若無人だった(勤務する会社の社主に可愛がられていたのをいいことに、上司や年上を平気で呼び捨てにし、ため口を叩いていた)。

 こういった例を見てみると、少年法における更生プログラムは功を奏していないどころか、少年院に入ったことで「箔がついた!」と思われている………端的に云えば罰が大甘なことで少年院・少年法が舐められているとしか思えないのである。
 少年院退院者が全員そうだと云うつもりは無いし、「処罰」より「更生」を重んじる方針それ自体が悪いとは云わないが、失敗例にもしっかりと目を向けて欲しいものである。

 女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者四人中三人が再犯(さすがに過去の事件ほどではなかったが、)をしでかしている。はっきり云って、前科を悔いたり反省していたりする様子は見られず、敢えて物騒なことを書くが、死刑にしていれば再犯は確実に防げていたのだ



■取り調べ中の暴言・愚論を無視するな!
 少年犯罪に限らず、犯罪に至る要因・動機・罪状も様々なら、事後の悔悛・反省・罪悪感の有無・度合いもまた千差万別だ。
 そして裁判において、事前の事情が量刑を増減するように、事後の態度もまた量刑を増減する。勿論悔悛の情が深く、謝罪・贖罪の意を強く示せば(例えそれが芝居でも)無視されることは無い。だが、丸で罪悪感を抱かないどころか、取調官や被害者遺族を挑発しているとしか思えない者も枚挙に暇がない。
 そしてそれが少年犯罪の場合、「処罰」より「更生」を重んじる為、反省なき態度や被害者を愚弄した言動が軽視・無視されているように思われてならない時がある。だが、その様な態度・言動は「処罰」の為にも、「更生」を促す為にも無視しないで欲しい。

 幾つかの例を挙げたいが、取り敢えずこれは週刊誌などで見た話をうろ覚えでしかないので、真実でない可能性を述べた上で列記するのだが、一つは上述した名古屋アベック強盗殺人事件の主犯である。
 「自分は未成年だから死刑になりませんよね?」と抜かし、裁判を舐めた態度を取り、一審で死刑判決が下った途端に態度を改めた訳だが、態度を改めたところで犯行時に極めて自己中で、何の罪悪感も抱かず、二人も虐殺した事実は消えない。こいつの死刑に反対した方々は、少なくともこいつが死刑に直面しなければ全く反省(の振りを含む)をしなかった可能性が高いことを忘れないで欲しい。

 次は光市母子殺害事件のO・T死刑囚だ。
 割と有名な話だが、山口地方裁判所で死刑求刑に対して無期懲役判決が下った後にこいつは友人宛に極めて悪辣な獄中書簡を送った。手紙の中身をかいつまんで記すと、被害者女性に対する強姦を動物の交尾に過ぎずないから罪に値しないとほざき、無期懲役にて7年ぐらいで出所すると嘯き、処罰を受けて娑婆に出る自分を「完全体」と例え、妻子を殺された遺族の言動を「調子づいてる。」と愚弄していた

 このふざけた書簡を受け取った友人も余りにもひどいとの想いを禁じ得ず、書簡が被告の不利になるのを承知の上で検察に送ったのだろう。結局Oは広島高裁でも無期懲役となり、最高裁で差し戻され、二度目の広島高裁判決で死刑判決が下り、上告後に最高裁で死刑が確定した。
 書簡内容から罪状のみならず事後の心根まで腐りきっていることが明らかにされながらその時の広島高裁(要するに一度目)で無期懲役が変わらなかったのは激しく謎だが、この書簡がOを死刑に追いやった要因の中で大きなウェイトを占めていることだろう。まあ自業自得で、成年による犯罪ならこの様な言動は間違いなく判決を被告の不利に導くが、少年犯罪では本当に軽視されている。

 最後にもう一例上げるが、神戸児童連続殺害事件の犯人である元少年Aだ。
 週刊誌の見出しで見ただけだから、どこまで本当か分からないが、こいつは取り調べ中に「出所したらまた(犯罪を)やります。」と抜かしたらしい。
 そりゃあ、あくまで取り締まり段階での台詞で、逮捕されるまで随分世間や警察に挑発的な態度を取っていたから、その後の裁判や医療少年院での矯正を受けても同じ心境だったか否かまでは分からない。
 結局こいつは自分の犯した事件に関する書籍を遺族の許可を得ず出版したことでそれまで毎年遺族に出していた謝罪の手紙も出さなくなり、かつての事件に対する反省度合いは大いに疑問視されている。
 勿論、裁判所の定めた処罰が終わった以上、こいつは法を犯さない限り、基本的人権を尊重されて、法の保護の元に生きる権利は保証されなくてはならない。だが、事件の前後を通じて反省に疑問の残る言動が遺族を深く傷つけ続けていることに変わりはない。
 反省を深めている場合は成年でも未成年でも減刑材料にするのだから、反省なき態度は厳罰化材料とされるのが筋であると訴えたい。



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令和四(2021)年六月一四日 最終更新