暴言五、処罰が甘いから、阿呆な私刑が横行すんじゃい!

 日本で人気のある時代劇に『水戸黄門』『大岡越前』『遠山の金さん』等がある。
 これらは、所謂、「お上」が庶民に味方し、悪代官・悪徳豪商・やくざ者を懲らしめてくれる勧善懲悪ものに喝采を叫ぶものである。外国人の中には日本人のこの嗜好を指して、「役所に守ってもらうことばかり考え、自分の身を自分で守る気概に欠けている。」と見る者も多いらしい。

 だが、本当に日本人に、「政府に頼らず自らの手で……。」という概念が欠如していると云えるのだろうか?



■法の裁きを頼らず、私的報復に走る奴等
 冒頭に書いている様に、日本ではお上が庶民に味方して権力や財力を持つ悪人を懲らしめる時代劇が人気を博している。
 だが一方で、『必殺仕事人』の様にお上が頼りにならないから、裏家業の人間に殺人を依頼する作風の時代劇も人気を博している。これは現代で云えば、政治家や大企業の重役からの犯罪被害を受けた庶民がその権力・財力に勝てないから、やくざ・暴力団・マフィアに金を払って報復を依頼しているに等しい。
 作品における主人公達が決して弱い者いじめをせず、結果的に正しき者の味方をしているから喝采を浴びているが、「非合法組織を頼った殺人依頼に過ぎない」との見方をすれば、とんでもない違法行為である。やった側も、頼った側も。

 加えて、毎年年末が来ると『忠臣蔵』が人気を博す。
 これも赤穂浪士のやっていることは(動機や信条はどうあれ)集団押し込み殺人である。どうして日本人が「私的報復と無縁な存在」と云えるだろうか?
 俺はそんな私的報復をさせない為にも、加害者に対して法がしっかりとした罰を与える必要があると考える。それが未成年であれ、成年であれ。

 ここまでの文章に対し、「所詮フィクションの話じゃないか。現実の社会において暴力団抗争ならともかく、庶民による報復殺人など起きていない。」と仰られる方もいよう。
 ただ、それは犯罪被害者遺族の多くが善良な人物で、大切な身内を殺めた凶悪犯に対して、私的報復に走らんとしても、周囲が止めたり、加害者と同じ罪を犯すことに躊躇したりするからで、気持ちとして報復感情は普通に持っていると思われる。
 実際、光市母子殺害事件で妻と一歳にならない娘を殺された本村洋さんが一審中に「加害者を死刑にしないなら無罪にして釈放して欲しい。自分のこの手で殺す!」と叫んでいたのをご記憶の方も多いだろう。
 大阪姉妹殺害事件で娘二人を殺された父親は報道陣に対して、もし司法が山地を死刑にしなければ、自分と息子とで必ず山地を殺すと宣言していた。

 幸いと云っては変だが、この二件の殺人事件は死刑が確定した(令和4年6月13日現在、山地は執行済みでOは未執行)。本村さんも、姉妹のお父さんも自分の手を汚さずに済んだ訳である。
 まあ、仮にこの二件で被告が死刑を免れたとしても本当に遺族が私的報復で殺人に及んだかどうかは何とも云えない。周囲の人間はOや山地の様な外道の為に遺族が犯罪者になることを止めるだろうし、本村さんもOの死刑が確定する頃にはかなり落ち着きを取り戻していた(当然Oの死刑を望む姿勢は全く変わっていなかったが)。
 だが、死刑を免れていれば本村さんや姉妹の父上が悔しさと殺意に悶絶したことは確かだ。死刑や死刑囚の実態を描いた一ノ瀬はちさんの漫画『刑務官が明かす死刑に話』によると、死刑囚が収監されている拘置所には、死刑囚を国の手で殺処分することに納得出来ず、自分の手で殺すことを訴える電話が掛かってくることがあるらしい(それゆえ、死刑囚の高地所への移送道中における警戒は厳重を極めることも同作で触れられている)。

 国が責任をもって死刑執行する現状ですら遺族の「自分の手で報復したい!」と云う感情は半端ない。まして、なかなか死刑が執行されない現状や、殺人事件においてかなりの確率で死刑が回避されている現状を鑑みれば、私的報復殺人の念を抱える遺族、私的報復殺人を企む遺族、実際に私的報復殺人を敢行する遺族が今後出て来ても全くおかしくない。否、今現在存在する可能性だった充分にあろう。

 勿論、かかる事情があっても私的報復殺人は立派な犯罪である。実際に行われてしまえば被害者遺族であっても法の裁きを受けねばならない。もしそんな裁判が行われれば、世論は情状酌量を求めるだろうが、俺的には「無罪!」は叫べない。
 報復は決して美しい感情ではないが、自然な感情でもある。司法は決して報復を第一としたものでは無いので、報復感情を必ずしも優先しろとは云わないが、「法がしっかり裁いてくれるのだから、報復犯罪で手を汚さなくても………。」と遺族に思わせる裁きを考慮することも必要ではないかと俺は考える。



■再犯率の高さを顧みんかい!
 死刑か終身刑でない限り、犯罪者もいつかは娑婆に舞い戻る。
 そりゃあ、獄中で病死・事故死することで裏出所する者もいるだろう。殊に、無期懲役は10年服役すれば仮釈放が認められる可能性があるとはいえ、有期懲役の上限が30年となったことで30年は服役せねばならず、遺族感情を考慮して仮出所が認められないケースも多く、「事実上の終身刑と化している。」との声もよく聞かれる。
 ただ、年間10名前後の無期懲役囚が仮釈放を認められて出所しているのも事実だ。

 犯罪者が服役を終え、娑婆に戻る際に最も大切なことは「再犯させない。」と云うことである。
 ただ、これは容易な話ではない。日本社会は犯罪者に対して、法の裁きは甘いが、世間の視線は厳しい(と俺には感じる)。前科者がまともな職に就くことは厳しく、就けた場合でも過去がばれることで職を失うケースもある。
 自業自得とはいえ、故郷の知人や場合によっては身内からも冷遇・断交されることもあり、心ならずも犯罪に手を染める者は決して少なくない。
 中には、「生活が出来ないから。」、「人間関係に耐え切れないから。」と云って、わざと軽微な犯罪をやらかして再度刑務所に戻る者は後を絶たないと云う。

 一応、上記の傾向は、老齢の出所者によく見られる傾向らしい。確かに「娑婆より刑務所の方がマシ………。」と思われかねない社会の在り様は在り様で見直しが必要だが、冷たいことを云えば、「出所出来ても前科者にはこんな未来が待っている可能性が高いのだから、最初から刑務所の世話になるようなことなんかするな。」と云いたい。

 いずれによせ、犯罪者による再犯問題は決して軽いものでは無い。
 中には心底前非を悔い、身内を初めとする支援者に恵まれたり、元々の罪状に対する情状が世間から同情的に見られていたりすることで出所後の更生生活が良好で、下手な善人よりも真面目に生きるようになった前科者もいよう。ただ、性犯罪や窃盗の様に再犯率の高い犯罪も多く、暴力団を初めとする反社集団に属していた者が他に生きる場がなくて犯罪組織に舞い戻るケースもあり、殊に心の底から更生を誓っていてもフラッシュバック現象で再度手を出してしまう薬物犯罪などの再犯は深刻だ。

 これらの問題は決して法や刑罰だけで解決出来る問題ではないが、少年犯罪に対しては、「罰が甘いから、またやってもうてるんとちゃうんかい?」と云いたくなるケースが多い。
 正直、少年院を出たことで「箔が付いた!」と思っている奴は絶対反省していないだろう
 長年会っていないが、少年院で教官をやっている友人によると、少年院を出た者の再犯率は50%ととのことで、友人には悪いが、「更生するかしないか分からないじゃないか。」と云いたくなる。
 まあ、一口に「再犯」と云っても、少年院や刑務所に入るようなことにならない軽犯罪も含まれるとのことなので、少年院に入れられるような凶悪犯罪がどの程度なのかを把握せずして早計な批判は避けたいところではある。
 ただ、「再発率50%」と云う数字を聞いて、「更生プログラムは好調ですね。」とはお世辞にも云えない。

 そして悔やまれるのは、軽い罰や更生プログラムを経て全く反省しなかった者がしでかした再犯である。
 前々頁でも触れたが、女子高生コンクリート詰め殺人事件の主犯四匹中、三匹は出所後に(殺人・強姦ではないが)再犯をしでかしている。
 また、三菱銀行人質事件を起こした梅川昭美は少年期に強盗殺人を、大阪姉妹殺害事件を起こした山地悠紀夫は少年期に実母を殺害し、少年だったがために厳罰を受けることもなく娑婆に放たれた結果、取り返しのつかない事件が起き、痛ましい被害者が出た。
 最初の事件で梅川や山地を死刑か無期懲役にしていれば二つの事件は起きていなかったのだ!

 クソガキの更生を無視しろとは云わないが、更生を優先して処罰を軽いものにした結果、新たな被害者・犠牲者が出た事実は無視してはならない。
 山地や梅川への判決を下した裁判官や、少年院で更生プログラムに携わった人々は、彼奴等の再犯で「かつての罰則が甘かったからだ!」とのバッシングに曝され、「出所後に奴が勝手にやったことを責められても………。」と頭を抱えていらっしゃるかもしれないが、前科者の再犯に対して誰も責任を取らない以上、かかる声が上がることにはご理解願うしかない。



■「仕返しの仕返し」を招かない為にも、司法による厳罰を!
 ここからは少し飛躍した話である。何せ話の大半が「仮定」に基づくものなので(苦笑)。

 余りに酷過ぎる犯罪に対して、理不尽なまでに軽い罰しか下されず、大切な身内がこの世にいないのに殺めた相手は生きている…………そんな無念に囚われた際、被害者遺族が私的報復を考えても全くおかしくないとの考えは上述した。
 殺人事件でなくても、道場主の馬鹿は今でも学生時代自分をいじめた相手を半殺しにしたくなる時があるし、東京での生活崩壊の遠因となったブラック企業の社長に至っては「一度鉄パイプで滅多打ちにしてやりたい。」との想いが時々脳裏を過る。
 勿論、実践すれば犯罪者になってしまうからするつもりはないが、心の狭い道場主の馬鹿から復讐の念が消えるのは、よっぽどのことがない限り半永久的にないだろう。

 殺人事件でなくても、道場主の馬鹿の様な臆病者でもここまでの念に囚われるのである。
 報復殺人や報復傷害が起きる可能性が0になることはないだろう。そして、もし起きてしまった場合、「報復出来てすっきり。法の裁きを受けなければならないが、まあ仕方ないか………。」で済むだろうか?

 まずそんなことはあり得まい。

 そもそもガキでありながら少年院にぶち込まれるほどの罪とは甚大で、そんな犯罪をやらかす輩の心根は(家庭環境の悲惨さなどがあるにせよ)まず腐り果てている。
 報復行為に曝された場合、クソガキが反撃に出ないことがあり得るだろうか?反撃に出たとしても、出所段階では「善良な市民」と位置付けられている以上、遺族の報復を「急迫不正の侵害」として正当防衛で反撃する権利は認められてしまうのである。
 つまり、返り討ちも起き得る訳だが、これに対して世間は法的に正当な行為に出た元触法少年を非難することになるだろう。

 また、遺族側が首尾よく(?)報復に成功した場合でも、報復された本人が死に至らなかったら本人が、死に至った場合でもその遺族が被害者遺族に報復を働く―つまり「仕返しの仕返し」と云う負のスパイラルが延々と続くことだって考えられる。

 まあ、自分で書いていても、「かなり思考が飛躍しているな………。」と思っているが(苦笑)、かかる犯罪の連鎖を防ぐ為にも、「更生」を考慮に入れた場合でも、酷過ぎる犯罪には司法が「殺処分」や「一生監禁」で負の連鎖を断ち切ることも必要であろうと訴えたい。



次頁へ
前頁へ戻る
冒頭へ戻る
法倫房へ戻る

令和四(2021)年六月一四日 最終更新