第拾弐頁 ゾルゲ事件………戦前最大のスパイ事件

事件名ゾルゲ事件
発生年月日昭和一六(1941)年九月〜昭和一七(1942)年四月
事件現場関東一円
下手人リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実(おざきほつみ)
被害者 一応、大日本帝国
被害内容機密漏洩
事件概要 当時同盟国だったドイツからの新聞記者(勿論国籍はドイツ)リヒャルド・ゾルゲがソビエト連邦からのスパイであったことが発覚し、協力した日本人(共産主義者)と共に逮捕・処刑された事件である。
 事件としては昭和一六(1941)年九月から昭和一七(1942)年四月にかけてゾルゲが構築したスパイ網を構成するメンバーが次々に逮捕されたものである。

 ある国から別の国にスパイが放たれるのは珍しい話ではない。それどころかある程度軍事に力を入れている国なら諜報戦を重んじて交戦可能性の有無に関係なくスパイを放ち、日常的な情報収集に努めるだろう。
 そんな中、このゾルゲ事件が史上にごまんとあるスパイ事件の中に在って群を抜いた知名度を持っているのも、事件に携わった人数・多様性が尋常ではなかったからに他ならない。殊に元朝日新聞の記者で、近衛内閣のブレーンでもあった尾崎秀実(おざきほつみ)が関わっていたことから、日本人政治家の中にも疑獄を持たれた者が複数いたことが大きな衝撃をもたらした。

 本来、日本人が外国の諜報機関や諜報員に協力することは完全な売国行為で、(あまり好きな単語ではないが)「非国民」、「国賊」の罵声に値する悪行である。ただ、当時の世は(国籍無関係に)共産主義革命を為すことを絶対の正義と考える者も少なくなく、その思想は容易に国籍・国境を越えたため、この事件を大規模かつ複雑にしている。
 逆に云えば、思想犯取り締まりを担当する、特別高等警察は共産主義を目の敵にしており、昭和初期より、共産党関係者で検挙された者の情報や、FBI(アメリカ連邦捜査局)からの資料から得たアメリカ共産党日本人党員の情報を収集し始めていた。
 特にアメリカ共産党員日本人党員である宮城与徳(みやぎよとく)・北林トモを厳重にマークし、そこからゾルゲが構築していたスパイ網の発覚に至った。

 事件の中心人物となったゾルゲに関してだが、事件以前のキャリアに関しては本作に主旨と関係が薄いので簡単に留めるが、赤軍参謀本部第4局から上海に派遣されていた頃に尾崎秀実と出会い、昭和八(1933)年九月に来日するや本格的なスパイネットワークを構築した(「ゾルゲ諜報団」、「ゾルゲ・グループ」、「ラムゼイ機関」等と呼ばれる)。
 その後九年間に渡って、大日本帝国政府や在日ドイツ大使館の機密情報を入手してはソ連労働赤軍本部第4諜報総局に報せていた。
 その内容は日米開戦を想定して南方進出を決定した御前会議の内容に関するもので、独ソ戦争に関する計画と、それに応じて日本が北進するのか南進するのかを探り得たもので、大日本帝国が北進・南進のいずれを選ぶかはソ連の戦備方針を大きく左右する重要情報だった。

 少しソ連に同情的に書くと、ゾルゲ事件の直前ソ連はドイツの裏切りに遭っている。
 昭和一四(1939)年八月二三日にソ連はナチス・ドイツとの間に独ソ不可侵条約が締結され、両国は僅か一週間後にはポーランドに侵攻した(第二次世界大戦の勃発)。
 この不可侵条約のおかげで、ポーランド分割後にドイツは西部戦線に集中でき、ソ連はフィンランド・バルト諸国への侵攻に集中出来た。だが、条約締結から二年も経ずしてナチスは不可侵条約を反故にしてソ連に攻め込み(独ソ戦争)、不意を突かれた上、スターリンが持ち前の猜疑心で有能将校を数多く粛清していたこともあって、一時はモスクワに肉薄される程の連戦連敗を喫した。
 それゆえ、ソ連並びにスターリンにしてみれば独ソ戦争の四ヶ月前に結ばれた日ソ中立条約がいつ破られるか戦々恐々としていたのは想像に難くない。この時点で既に五年も日中戦争を展開していた一方で、ドイツやイタリアと防共協定や軍事同盟を結んでいた日本がどんな方向転換をするのかと云う情報を咽喉から手が出るほど欲しかったことだろう。
 ましてや満蒙を巡っては前頁までに触れて来た張鼓峰事件ノモンハン事件関東軍特種演習と云った事件が連発していたのである。

 そう考えるとソ連が大日本帝国の動向に対して諜報力を注いだのは当然とも云える。が、かといって、「じゃあ、存分に国家機密を調べて下さい。」なんて国は無い。令和三(2020)年二月現在、死刑を廃止している国でも軍事的なことでは死刑を行う国もあり、ましてや潜んでスパイ行為を行う相手など、防諜機関が闇から闇に葬ることも普通に行われている。推測でしかないが、ゾルゲ以外にも大日本帝国によって闇に葬られた各国のスパイも少なくなかっただろうし、逆に各国の防諜機関によって闇に葬られた日本人スパイもいたことだろう。
 実例を挙げれば、中国人作家・魯迅は、ソ連の手先として日本へのスパイ行為を働いた中国人が処刑されるフィルムを見て、周囲の中国人が笑って見物していたのに衝撃を受けたことがあり、スターリンが多くの人々を粛清したのもスパイと疑ったものが多く、それによって殺害された日本人は確実に存在している。

 話をゾルゲに戻すが、彼はナチスが政権を逃げる前年の昭和八(1933)年に既に日本での活動を指示され、ドイツからアメリカ経由で来日した。
 駐日ドイツ大使館員への紹介状、職業をジャーナリストとしたパスポートを入しており、同年九月六日に横浜に着いたゾルゲはすぐにナチスに入党した。そして駐日ドイツ大使館付武官オイゲン・オットの信頼を得たことで、表向きドイツ人ジャーナリストとして怪しまれることなく日本国内を闊歩し、下記の一覧に記した人物等と交流を持ち、一大スパイ網を構築した。

 短い情報は無線技士マックス・クラウゼンが自作した無線機で送信し、長文の報告書はマイクロフィルムにして駐日ソ連大使館に託した。
 当然、常日頃から防諜に努める日本の官憲は昭和一二(1937)年にはこれらの無線も傍受したが、ゾルゲ『1935年版ドイツ統計年鑑』を乱数表として加工した暗号で巧みに隠蔽し、クラウゼンも複数の拠点を転々としながら発信したので、特高もなかなか発信元を特定出来ず、暗号も解読出来なかった。

 ゾルゲはソ連に日本の武器弾薬・航空機・輸送船・工場設備・鉄鋼の生産量・石油の備蓄量等について正確な数値をもって報告した。
 その後ゾルゲは昭和一〇(1935)年七月〜九月迄モスクワに最後の帰国をし、再来日後もソ連への帰国を望んだが、ソ連サイドではゾルゲに替わる人材がいないこともあって、帰任を認められず、これがゾルゲの命取りとなった(本国でゾルゲの上司が粛清に遭っており、これを懸念したゾルゲが帰国を望まなかった説もある)。

 その後もドイツ大使館を通じて日本陸軍にも情報源を持ち、ドイツの動向、日本軍の方針と云った重要機密を送り続けたゾルゲだったが、太平洋戦争勃発の二ヶ月前となる昭和一六(1941)年一〇月四日にモスクワに送った通信が最後となった。
 前述した様にアメリカ共産党員であった宮城や北林をマークし、満州の憲兵隊からもソ連に関する情報を得ていた特高は昭和一五(1940)年六月二七日より捜査を開始していた。

 同年九月二七日に北林を逮捕したのを皮切りに特高は事件関係者を次々に逮捕・拘束した。
 一〇月一〇日に宮城が、同月中旬には尾崎も逮捕された。これにより尾崎と連絡が取れなくなったことに異変を察知したゾルゲは同月一七日にクラウゼン等と日本脱出を図ったが、翌日にはゾルゲも特高外事課と検察によって逮捕された(クラウゼンヴーケリッチも同日に逮捕)。

 この逮捕にゾルゲを心底信じていたドイツ大使館関係者は外務省に正式な抗議を行う程だったが、家宅捜索によりスパイ行為の証拠が次々と発見され、クラウゼンの自供で無線機が発見されたことでゾルゲもついに容疑を認めた。

 オットーは巣鴨拘置所に出向いてゾルゲと面会したが、何かの間違いと固く信じていたオットーに対してゾルゲは別れの言葉を告げただけだった。
 かくしてゾルゲ達は昭和一七(1942)年に国防保安法治安維持法違反等で起訴され、首謀者であるゾルゲ尾崎が死刑となり、他の者も無罪から有期懲役、無期懲役と様々な判決が下された(詳細は下記一覧参照)。

 ゾルゲ尾崎の死刑執行は昭和一九(1944)年一一月七日で、この日はロシア革命記念日だった。恐らく、ソ連に対する当てつけだろう(戦後、連合国も昭和天皇の誕生日に東京国際軍事裁判を改定し、A級戦犯の死刑執行を皇太子の誕生日に行っている。いずれも嫌らしい話だ)。

 ゾルゲは従容として刑に服し、最後の言葉は日本語で、「これは私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳。」と云ったものだった。

事件で起訴された者一覧
判決被告人国籍表向きの肩書役割死刑執行・獄死・釈放等による刑の終結
死刑リヒャルド・ゾルゲドイツ新聞記者全スパイ行為の主導昭和一九(1944)年一一月七日執行
尾崎秀実日本新聞記者・近衛内閣嘱託・満鉄調査部嘱託職員ゾルゲへの国家機密漏洩昭和一九(1944)年一一月七日執行
無期懲役ブランコ・ド・ヴーケリッチユーゴスラヴィア新聞記者情報分析・無線通信補助昭和二〇(1945)年一月一三日獄死
無期禁固マックス・ラウゼンドイツ無線技士無線担当昭和二〇(1945)一〇月九日釈放
懲役15年小代好信日本昭和二〇(1945)年一〇月八日釈放
懲役13年田口右源太日本昭和二〇(1945)年一〇月六日釈放
水野成日本昭和二〇(1945)年三月二二日獄死
懲役12年山名正実日本昭和二〇(1945)年一〇月七日釈放
懲役10年船越寿雄日本昭和二〇(1945)年二月二七日獄死
川合貞吉日本著述家昭和二〇(1945)年一〇月一〇日釈放
懲役8年九津見房子日本社会運動家宮城与徳の情報収集支援昭和二〇(1945)年一〇月八日釈放
懲役7年秋山幸治日本昭和二〇(1945)年一〇月一〇日釈放
懲役5年北林トモ日本アメリカ共産党員昭和二〇(1945)年二月九日、重病で仮釈放中に病死。
懲役3年アンナ・クラウゼンドイツマックスの妻昭和二〇(1945)年一〇月七日釈放
懲役2年菊地八郎日本釈放日不明
安田徳太郎日本医師・歴史家シンパとされて逮捕執行猶予5年
懲役1年6か月西園寺公一日本外務省嘱託職員。元総理西園寺公望の孫。有罪判決により侯爵家廃嫡。尾崎との連座を疑われて逮捕執行猶予2年
無罪犬養健日本政治家・作家。元総理犬養毅の長男
※事件そのものとほぼ無関係でありながら、交友関係や共産主義シンパと見做されての逮捕もある。
※上記以外の被告では、宮城与徳が昭和一八(1943)年八月二日に、河村好雄が昭和一七(1942)年一二月一五日に未決拘留中に病死。



事件の日ソ関係への影響 表面上は影響していない。簡単に云えば、ソビエト連邦政府は「知らぬ存ぜぬ。」を決め込んだ。
まあ、そもそもスパイ行為なんて、発覚しても国は認めない。スパイ行為自体が決して相手国から褒められる行為ではない故に。
 世界中どこの国でも諜報機関を持ち、例え同盟国相手でもスパイが送られるのは常識で、同時にスパイは見つかったり、捕まったりした際に国家の命令であることを否定するし、相手国の防諜機関によって闇に葬られることも覚悟の上での稼業である(江戸時代、薩摩に潜入した数多くの公儀隠密が闇から闇に葬られている)。

 逆の云い方をすれば、真に優れたスパイは相手国に探られたことを悟らせないし、真に優れた防諜機関はスパイを闇に葬り、そのスパイを放った国許にもそのことを悟らせない。酷な云い方をすれば、歴史に名を残している段階で、スパイ失格で、防諜機関も充分な隠蔽が出来ていないと云える。まあ、相手あっての事なので歴史の結果を知る後世の人間が単純な優劣を語るのも考え物だとは思うのだが。

 ともあれ、ゾルゲ自身がスパイであったことを自供したことに対し、ソビエト連邦は日ソ中立条約を締結中だった日本政府との関係悪化を恐れて彼が自国のスパイであったことを否定し、スターリンも完全黙殺の態度に終始した。
 リヒャルド・ゾルゲが、国家に貢献した者として正式に認められ、表彰されたのは、スターリン死後の事であった。



不幸中の幸い リヒャルド・ゾルゲにとって身も蓋も無い云い方だが、重要機密も報せる相手がスターリンでは、いずれ日本とソ連は(日ソ中立条約を無視して)戦う関係にあった。
 とは云え、両国とも無謀な勝負を好む訳ではない。ソ連はソ連で対ドイツ戦に日本が加勢するか否かは国家の命運を左右しただろうし、日本は日本で中国との戦争を継続している中で、別の国と戦端を開くと云う大愚行を行った訳だが、その交戦相手にソ連を選ぶか、米英を選ぶかで、阿呆なりにも考えるところは有ったことだろう(と信じたい。何も考えていなければ本当の阿呆である)。

 それを考えるとゾルゲ事件が発覚したことで、少なくとも独ソ戦終結までは日ソ開戦は避けられたと云えなくもない(些か強引だが)。
 ソ連はソ連で日本の方針が南進であったことに心底ほっとしただろうし、日本は日本でここまで国内戦力を詳細に知られたソ連と事を構えたくなかったことだろう。
 穿った見方になるが、ゾルゲは自らの刑死をもって日ソ開戦を遅らせたと云えなくもない。逆を云えば、ゾルゲ事件が発覚していなければ、日ソ両国が互いを甘く見て些細なきっかけで開戦したかも知れなかった(張鼓峰事件ノモンハン事件関東軍特種演習等にも全面戦争に発展する火種は充分にあった)。

 そして戦後、無縁仏として雑司ヶ谷霊園に葬られていたゾルゲの遺体は、ゾルゲと愛人関係にあった石井花子によって、多磨霊園に改葬され、母国でもゾルゲは一面では「ソ連と日独の戦争を防ぐ為に尽力した英雄」とされ、一面では稀代のスパイとされている。
 更に日ソ共同宣言で日ソの国交が回復すると、駐日特命全権大使は日本赴任時にゾルゲの墓に参るのが慣例となった(関係ないが、大相撲のモンゴル人力達は士弘安の役の前に元の使いとして来日し、鎌倉幕府に処刑された杜世忠の墓を参拝するのが慣例になっている)。

 ゾルゲと石井は正式な結婚をしていないが、石井のゾルゲへの愛は本物で、現在ゾルゲの墓碑にはロシア語で「ソビエト連邦の英雄」と云う文字と、「妻石井花子」の文字が彫られている。
 日露友好を願うロングヘアー・フルシチョフとしては、ゾルゲのスパイ行為が戦争回避に生きたもので、国交・国籍を超えた真の愛と云うものがこの世に存在することを確信したいところである。


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令和三(2021)年二月九日 最終更新