6.立花藤兵衛VSガランダー帝国……忍者もびっくりの潜入と阻止

番組名『仮面ライダーアマゾン』最終話「やったぞアマゾン!ゼロ大帝の最後!!」
放映年月日1974年3月29日
勝利者立花藤兵衛
勝利手段バックスタブを駆使した潜入&スパナ・ドライバー
勝利形態破壊作戦阻止
ストーリー概略 前話である第23話にて、ガランダー帝国は水素爆弾の数十倍の威力を持つヘリウム爆弾による東京壊滅を画策していた。それを妨害せんとする我等がアマゾン(岡崎徹)を迎撃したオオサンショウウオ獣人だったが、仮面ライダーアマゾンはこれを撃破。
 アジトに逃げ帰ったオオサンショウウオ獣人の血痕を頼りにガランダー帝国の地下基地に潜入したアマゾンだったが、ゼロ大帝(中田博久)がランスより放つビームで変身を解除され、無力化された上、囚われの身となった。

 アマゾンを捕え、新宿パインビル地下1Fにヘリウム爆弾を仕掛けたガランダー帝国はいよいよ爆弾のリモート・コントロール・スイッチ(いか、「RCS」)を押下する時間=ゼロアワーを迎えんとしながら、アマゾンからギギの腕輪を奪おうとしていた。
 ギギの腕輪を奪われてはアマゾンの命もまた奪われることになり、ガランダー帝国のテロ阻止も叶わぬこととなる。何とか状況を打破せんともがくアマゾン。そんな彼に何とか加勢せんとして立花藤兵衛(小林昭二)もまたガランダー帝国アジトに潜入せんとしていた………。


勝利 結果としてヘリウム爆弾の爆発は阻止され、ゼロ大帝と、謎の支配者が倒されたことでガランダー帝国は滅亡した。

 勝利者は2名。仮面ライダーアマゾン立花藤兵衛である。
 アマゾンライダーは、古代インカの超エネルギーを入手する為に彼のギギの腕輪を奪おうとしたゼロ大帝が持ってきたガガの腕輪の力を我が物としたことで戒めを脱し、ゼロ大帝を落とし穴に墜落死せしめ、基地内に在ったヘリウム爆弾のRCSを切断した。

 藤兵衛アマゾンライダーからヘリウム爆弾本体の在り処を聞き出し、その起爆装置を外し、テロを未然に防いだ。

 つまりは、アマゾンライダー藤兵衛が各々の役割を果たすことで、テロを阻止し、首謀者を倒し、悪の組織を壊滅せしめた、という完全勝利を得たのだった。


勝利の肝 実はこの『仮面ライダーアマゾン』最終回における立花藤兵衛の活躍に触れるのは初めてではない。直近に当たる「奮闘!立花藤兵衛」でかなり詳細に触れている。

 端的に論述すると、爆弾設置から引き揚げたガランダー帝国黒ジューシャの1人をバックスタブ(背後からの一撃)で倒した藤兵衛が見事にアジト内潜入を果たし、ヘリウム爆弾爆発阻止に貢献したと云うものである。バックスタブの見事さについては前作を参照して欲しい。

 ただ、身も蓋もない書き方をすると、仮面ライダーアマゾン一人の活躍でもヘリウム爆弾の爆発阻止が為されていた可能性は充分にあった。それどころかアマゾンライダーが基地内のRCSを切らない内は、藤兵衛は爆弾の時計を止めることも、起爆装置を外すことも出来ずにいた。
 間に合わない可能性を考慮してか、藤兵衛は彼に追随していた岡村りつ子(松岡まり子)・岡村マサヒコ(松田洋二)の姉弟に逃げることを勧める始末だった。まあ、二人は藤兵衛と生死を共にすることを選び、逃げることを拒否したのだが……。

 結局はアマゾンライダー暴走活躍でRCSが切られたことで、ヘリウム爆弾の時限装置は停止し、起爆装置の解除も可能になった。だが、やはりシルバータイタンは、この時の藤兵衛の為した役割は大きいと思っている。
 アマゾンライダー藤兵衛もヘリウム爆弾の構造やシステムを知っていた訳ではないから、両者はRCSと起爆装置の両方を始末する為にここに動くことを選んだ。それゆえ、アマゾンライダーアマゾンライダーで起爆装置が気がかりだっただろうし、藤兵衛藤兵衛でRCSが気がかりだっただろう。
 そうなるとアマゾンライダーが暴走とも言える好意に走れたのも藤兵衛に対する信頼があればこそであろう。

 また、前述した様に、藤兵衛は途中で起爆装置の解除が叶わない=ヘリウム爆弾起爆が阻止出来ないことを覚悟して、岡村姉弟に逃げることを勧め、二人はそれに従わなかった訳だが、姉弟の決断には2つの要因が考えられる。
 1つは立花藤兵衛に対する信頼で、1つは水爆以上の破壊力を持つヘリウム爆弾を相手に1、2分間で危険区域外への逃走が叶うと思えなかったから、とシルバータイタンは踏んでいる。
 そしてこの2要因の根底に、藤兵衛と共に行動・運命・戦いを共にする姉弟の強い意志があったからこそ、二人はヘリウム爆弾の元まで付いて来たのだろう(はっきり言って、二人は何もしていない)。

 立花藤兵衛の尽力は必ずしも必要なものではなかったかも知れないが、それは結果論で、水爆以上の兵器によるテロを未然に防ぐ為に、この最終回で藤兵衛が尽くそうとした行為は実に理に適ったものであることを失念してはならないと考える。


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平成二七(2015)年四月二八日 最終更新