「殺された」人達

 「歴史上、他者の手によって殺された人達を挙げよ。」などと言われ、それに答えようとしたら、対象者が多過ぎて困惑することだろう。
 それほど戦死・刑死・暗殺、と「殺された」ことで生涯を終えた人間は多いし、織田信長や北条氏政の様に厳密には「自害」でも、他者から追い込まれてのことだから、これらも「殺された」にカウントできるし、その様にして命を失った人物も多い。

 このコーナーでの「殺された」人達、とは上記とはチョット意味合いが異なる。
 正確には「殺された事にされてしまった」人達−それも史書には「病死」と明記されながらも、暗殺説が根強く、作家や新説を作りたがる歴史家によって「殺された」と悪く言えばでっち上げられ、別の言い方で言えば推測、またはストーリー上設定される人達である。
 このコーナーではそんな羽目に陥りやすい歴史上の人物を挙げたい。



何故「殺される」のか?
 そもそも病死でありながら、「殺されたのでは?」、「自然死とは思えん。」とされる時とはどんな時だろうか?
 端的に言えば、その人物に「殺される理由がある時」だろう。

 人間は理由もなしに人を殺すほど愚かな生き物ではまずない(余談だが、道場主は猟奇的殺人や無差別殺人の際にすぐに「精神鑑定」が叫ばれる傾向が大嫌いである。崇高な使命感でもない限り正常の神経で殺人なんて出来るものではないと思っている故に)。
 「殺される」からにはその人間の死によって何某かの利益(物質的なものとは限らない)を得る者が存在する。そしてそれが「殺す」理由となるのである。
 つまり殺人でなくても、ある人物の死が別の人物の利益を産めば(逆に致命的損害を逃れる要因になれば)、「ある人物はその利益を得た人物によって殺された。」との推測を生む土壌を持つことになる。動機があれば、「殺っていてもおかしくない。」と見做されるのである。
 推理ドラマで云う所の、「最も得をした人物を疑え。」との行為が自然に為され、「被害者」と「加害者」が生まれてしまうのである。ましてそこにドラマ性があれば白も黒にされてしまう。

 そこでこのコーナーでは歴史の流れの中で、その死の持つタイミングから当時の人々並びに後世の人々から「殺されてしまった」人々を追い、日本史における死生観も探求し、そこから学び得る物を見てみたい。


第壱頁 鎌倉暗闘偏(藤原秀衡 源頼朝)
第弐頁 徳川躍進偏(小早川秀秋 結城秀康)
第参頁 子飼末路偏(加藤清正 福島正則)
第四頁 皇統死守偏(称徳天皇 足利義満)


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令和三(2021)年四月一六日 最終更新