第2頁 「事実上の終身刑」について

考察1 終身刑との相違
 『CITY HUNNTER』という漫画において、主人公冴羽獠が自分を恨んでいた国際的テロ組織の親玉デビット・クライブを倒した際、獠はその後始末を知人の刑事である野上冴子に託し、その際にクライブがどうなるかを尋ねた。それに対して冴子は「二度と塀の外に出ることは無いでしょうね。」と答えていた。
 恥ずかしながら、少年の頃にリアルタイムでこのシーンを読んだ道場主の馬鹿はこの時点で無期懲役と終身刑を同一視していた。

 それから30年ほどの時が流れ、凶悪犯罪者に無期懲役判決が下され、それに納得いかない書き込みがネット上を騒がす際に、必ずと云っていい程「無期懲役=終身刑ではない。」と主張する者が現れる。
 また、死刑廃止論を展開する識者の中には、「凶悪犯が再び娑婆に出て殺人などの凶悪犯罪をやらかさない為にも、死刑は必要!」との意見に対して、「現代日本の無期懲役はほぼ終身刑と同様で、塀の外に出る心配はないから、死刑にする必要はない。」との反論をよく繰り広げる。

 かように、時としてその相違が認識されないこともある無期懲役と終身刑だが、その相違はぶっちゃけ「仮出所の見込みがあるか否か」である。勿論前者にはそれがあり、後者にはそれが無い。
 「死刑と無期懲役」ほどではないが、「仮出所の見込みが有るか無いか」の格差もかなり大きいと云えよう。
 仮出所の話を有期懲役囚に転じた場合、中には「満期上等!」とばかりに刑期の長短など一顧だにせず暴動や不当要求で刑務官を困らせる囚人もいるが、真面目に服役することで模範囚として一年でも、二年でも早く出所を目指す者も決して少なくはない(←勿論、刑期に関係なく心底罪を悔いて真面目に務める者もいよう)。
 これを無期懲役囚に転じた場合、「最短でも30年服役しなければならず、仮出所がいつになるか分からない………。」 というのも相当辛いが、「その可能性が全くない」よりはかなりマシではないかと思われる。

 ともあれ、令和6(2024)年12月20日現在、日本に刑法上の終身刑は無い。確かに服役開始時点で残余寿命が30年も無いと見える老服役囚にとっては終身刑と同義かも知れない。
 また、服役から30年経過して仮出所の可能性が出てきても、請願が却下されたら次に請願出来るまで10年待たなければならない。却下された時の年齢次第では、却下の瞬間が「終身刑確定」となろう。

 海外の例だが、昭和55(1980)年12月にジョン・レノンを殺して無期懲役の判決を受けたマーク・チャップマンと云う囚人は平成10(1998)年から仮出所の請願が可能となり、その請願を続けているが、令和4(2022)年に12回目の請願が却下された。一応令和6(2024)年に請願する権利があるのだが、同年のそれがどうなったかは12月20日の段階で俺の耳には入っていない。勿論却下されれば次は令和8(2026)年まで待たねばならない。
 チャップマンの仮釈放が認められるか否かには、遺族の意向も大きく影響するらしく、レノンの未亡人であるオノ・ヨーコさん(←目の前で夫を撃ち殺されている!)は請願の度に仮釈放に反対している。
一方で、チャップマンを早く仮釈放するよう要請している集団があり、てっきり人権団体かと思ったら、レノンの熱狂的なファン達とのことで、アメリカ司法はチャップマンを仮出所させれば熱狂的なレノンファンによる私刑に遭うのではないか?と見て、これが仮出所却下に繋がっているとの説もある。

 話を日本に戻すが、日本における無期懲役囚の仮出所もかなり狭き門である。現在無期懲役で服役している囚人の中にも、罪状や仮出所後の娑婆での生活に対する自信の無さから仮出所を諦めている者も少なくないと見られる。
 だが、一方で、名古屋アベック強盗殺人事件の主犯で、一審で死刑判決が下され、二審で無期懲役に減刑されたクソガキは令和6(2024)年12月20日現在も服役中だが、一日も早く娑婆に出たいとの意欲を失っていない。
 マスコミのインタビューには前非を悔いる発言も述べていたが、まあ、辛い服役で本当に反省しているかもしれないし、仮出所を目指す手前、腹の中では「殺した奴のことなど知ったこっちゃない。俺は早く娑婆に出たいだけだ。」と思っていたとしてもそれを表には出さないだろう。本音は本人にしか分からないが、俺個人は一審判決通りに死刑にすべきだったと思っているので、こいつが例え僅かでも希望を持っていることに好ましからざる感情を持っているし、「いっそ終身刑ならこいつに希望なき生き地獄を味わわせられるのに………。」と思うこともあれば、「僅かな希望を持ちながら、延々と仮出所を却下され続けて老いさらばえて死ね。」と思うこともある。

 繰り返しになるが、「命」というキーワードが格差の元となる「死刑と無期懲役」ほどではないにしても、「希望」というキーワードが格差の元となる「終身刑と無期懲役」の格差も決して小さくはないと云えるだろう。


考察2 仮出所の実態
 前述した様に現行刑法において日本に終身刑は無い。それゆえ無期懲役囚は制度上一応全員が仮出所の可能性を保持している。ただそれは「最低30年以上の服役」、「服役態度が真面目なら10年ごとに請願が出来る」といった条件が伴い、その条件次第では請願却下と次の請願の間の10年間に命を落とす者もいるだろうし、中には最初の30年に達する前に寿命が尽きる者もいよう。
 となると、仮出所が見込めず、無期懲役が事実上の終身刑になる者も出て来る。では実際のところ、無期懲役囚仮出所の実態は如何様なのであろうか?


 とあるサイトを参考にしたところ、平成23(2011)年から令和2(2020)年までの過去10年間における無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況は以下の通りとなっていた。
 無期刑受刑者の推移(平成23年〜令和2年)
年末在所 無期刑受刑者数 無期刑 新受刑者数 無期刑 仮釈放者数 無期刑 新仮釈放者数(※) 平均受刑 在所期間 死亡した 無期刑 受刑者数
平成23年 1,812 43 8 3 35 年 2 月 21
平成24年 1,826 34 8 6 31 年 9 月 14
平成25年 1,843 39 10 8 31 年 2 月 14
平成26年 1,842 26 7 6 31 年 4 月 23
平成27年 1,835 25 11 9 31 年 6 月 22
平成28年 1,815 14 9 7 31 年 9 月 27
平成29年 1,795 18 11 8 33 年 2 月 30
平成30年 1,789 25 10 7 31 年 6 月 24
令和元年 1,765 16 17 16 36 年 21
令和2年 1,744 19 14 8 37 年 6 月 29
合計 - 259 105 78 - 225
(※) 無期刑新仮釈放者とは,無期刑仮釈放者のうち,「仮釈放取消し後,再度仮釈放された者」を除いたものである。

 一応、これでも日本社会における凶悪犯罪の数は減少の一途を辿っているので、それに比例するかのように新規無期懲役囚は年々減少している。その一方で、仮出所者も減少し、それに関係なく服役中に死亡する無期懲役囚が毎年一定数いる。
 増えたり、減ったりする中で例年約1800人前後いる無期懲役囚の中で、仮出所が叶うのが全体の約70分の1で、寿命の尽きる者が約80〜90分の1となる。もっとも、無期懲役囚の年齢割合が上記の表だけでは分からないし、仮出所条件となる30年以上の服役を終えている者の数も分からないので数字的な割合だけで詳細は語れないが、やはり仮出所は狭き門と云えよう。
 勿論、これらの人数の中でどれほどの人数が仮出所に執念を燃やしているか?どれほどの人数が仮出所を諦めているかも定かではない。


考察3 終身刑導入論について
 「一生出所することの叶わない終身刑が導入されれば、死刑を廃止しても良い。」と考える現時点での死刑存置派は間違いなく存在する。また、死刑執行することで凶悪犯の苦しみを一瞬で終わらせることを良しとせず、「一生出られない終身刑で死ぬまで苦役させるべき。」と考える死刑廃止派もいる。
 そもそも死刑廃止派だからと云って、凶悪犯罪者を厳罰に処すことに反対する者は極少で、死刑廃止を訴える多くの者が代替刑として終身刑の導入を訴えている。そして死刑存置派の中にも、案件によっては「これは死刑よりも、終身刑があればその方が良い………。」、「いつか出られる(可能性のある) 無期懲役は不適切だが、一生出られない終身刑なら死刑にしなくても………。」と思うことの多さから、終身刑導入を訴える者は決して少なくない。

 にも拘らず、終身刑導入の話は立法府において全く審議されていない。

 死刑存置派にも、死刑廃止派にも、終身刑導入を求める声が大きいにもかかわらず、である。思うにこれは、日本人特有の「白黒をはっきりつけたがらない」という国民性に由来しているのではなかろうか?まして、無期懲役が「事実上の終身刑」と見做されがちな昨今にあっては。
 終身刑を導入すれば無期懲役−終身刑−死刑の順位上、罪状に対してどう振り分けられるかが明確化に近付くと思われるが、同時に無期懲役囚の仮釈放についても、終身刑と死刑の振り分けについても細分化が求められ、司法関係者にとっては面倒なだけでメリットが見られない。
 また終身刑導入によって死刑が廃止された場合、弁護士は担当する被告人の命が奪われることを心配しなくて済むが、同時に最高刑罰となる終身刑の回避に務めなくてはならなくなり、現状の「死刑を回避して無期懲役」よりはかなりやりにくくなると思われる。
 そして刑務官にとっても、一生出所の叶わない終身受刑者を懲役に服務させることには困難が伴うだろう。「いつか出られるかも知れない………。」と云う希望は囚人をして模範囚にならしめる要因となるが、元々身勝手な人殺しや傷害をやらかす連中が、「一生出られない………。」となって真面目に刑に服すか?と問われればかなり疑問だ。
 俺個人の希望としても、死刑制度を維持したまま終身刑を導入して欲しい(それによって死刑判決が減るのはしょうがないと思っている)が、どうも話は単純じゃなさそうだ。


不良刑事三白眼かく語りき

 まずは何よりも先に「二次被害」「続発被害」の防止を優先すべき。

 「白黒はっきりつけたがらない」→実は道筋立った理由があるわけで…白黒をつけたくてもつけられないんだろうと思う。

 まず冒頭に「正直興味もない!!」と言い放ったが、そもそも、我々が見えているものと現実世界との間には何らかの薄い仕切りのようなものがあって、どうあがいてもそれ以上にどうすることもできず、結局自分の間尺でしか判断することしかできない。

 当然そのようなものの見え方は、頓珍漢に決まっているわけで…

 更に悪いことに、情報のソースがテレビや新聞、ネット「しか」ないため、細かい部分まで伝わってこない。
 ここがわからないと、我々は手も足も出なくなってしまう。

 じゃあ我々はどうするか。禁断の必殺技…「ゲスの勘繰り」を以て、物事を判断することになるのかしら。

 神仏のような存在から「お前のそのものの見方は間違っている!!」と、我々に客観的な証拠をいくつか突き付けて指摘でもしてくれれば、今すぐにでも料簡を改めたいと思うが、この「ゲスの勘繰り」とやらが中途半端に正解だったりするから、さらに話がややこしくなる…。

 ここでグダグダ管をまく前に、まずは一度は裁判の傍聴をした方がいいと思う。

 しかし何やねん…あの「法廷スケッチ」って。


次頁へ
前頁へ戻る
冒頭へ戻る
法倫房へ戻る

令和六(2024)年一二月一九日 最終更新