第3頁 「生かして償わせるべき」について

考察1 一理あり、ではある。
 正直、この頁の内容は過去作「リトルボギーの死刑廃止論」とかなり被る。故に過去作は熟読されたという方(←そんな人、居るのか?)は読み飛ばして頂いて一向に構わない。
 では本題に入るが、死刑が求刑されるような案件に対して、当然弁護士はあらゆる論説を駆使して死刑回避に努める。無論、それ自体は正当な業務で、責務ですらある。そして死刑回避を求める際に、弁護士が述べる論説の一つに、「生かして償わせるべき」というものがある。

 副題につけているように、「一理ある。」と思っている。過去作にも書いたが俺は「死を以て償う。」と云う意見に否定的だ。むしろ死刑廃止派の訴える「犯人を殺したところで何も生まれない。」という意見に肯定的だ。
 「命を奪う。」と表現されるが、奪った「命」を所有したり、利用したりすることが出来る訳ではない(苦笑)。断てばそれっきりなのだ。俺個人は死刑囚に対して、「死して償え!」と思っているのではなく、「貴様は生かしておけん!」と思っている。実例を挙げると、宅間守宮崎勤などは生かしておいて何か償いをしたとは思えず、言葉を発する度に遺族の怒りを増幅させていた。
 つまり凶悪犯を死刑に処すると云うことは、「償わせる」と云うことが丸で期待出来ず、最低限の人権である生存権すら認められない者がそれ以上悪行を重ねたり、口舌でもって被害者遺族や世の人々(場合によっては死刑囚の身内)を傷つけたりするのを阻止する為の最後にして最悪の手段とも思っている。

 それゆえ、窃盗や軽微の傷害の様に、「金と誠意」で被害者が納得出来る償いが出来るなら、「罰する」よりも「償わせる」を重視する意見はもっともだと思っている。
 一口に死刑囚と云っても千差万別で、死刑が確定する以上は複数の命を奪っていることや、手口が残忍であることや、動機が身勝手であることは概ね共通しよう。ただ、いざ死刑が確定した後の前非に対する悔悛は大きく異なるだろう。松永太山田浩二(現姓・水海)、宅間守(執行時の姓は吉岡)、宮崎勤辺りは一片の罪悪感も抱いていないと思われる。一方で心底前非を悔い、被害者への謝罪を続け、請願作業で稼いだ額を賠償の足しにしている死刑囚もいると聞いている(←例え死刑を免れないとしても、こういう人物は明らかにして欲しいものだ)。
 自分の罪状に対する後悔を書籍に残すことで凶悪犯罪の罪深さを世に残すことで同様の犯罪が起きることを一件でも少なくなるよう努める者もいる。となると、同じ死刑囚でもあっさり死なせるよりは執行時期を考慮したり、死に臨んで謝罪・反省・後悔していたことを公表したりすることも大切だろう。

 ただ、これらの情報を法務大臣は、「個々の事案に関することは回答を差し控えさせて頂きます。」の一点張りなので、本当に分からない。例え死刑を執行されるにしても、死刑を免れるにしても、囚人達が犯した罪に対してどれほど償いの念を持っていたかは(全く持っていないことも含めて)世に知らしめられるべきと俺は考える。


考察2 償わせる?どうやって?
 そもそも論として、「殺人を償うことは出来ない。」と云う大前提がある。金や物なら同額以上を支払い、心底詫びれば償うことは可能だ。中にはそれでも許さない被害者もいるだろうけれど、少なくともそこまですれば法的にそれ以上の苛斂誅求を課す権利は被害者とてない。

 だが、「命」は何をどうしたところで戻せない。

 「命」だけではなく、「精神的苦痛」も難しい問題だ。基本心の傷もまた生涯消えるものでは無い。裁判になった場合は「慰謝料」と云う形で、金による解決が採られる。他に方法が無い故に。余談だが道場主の馬鹿は少年の頃、「慰謝料」を「医者料」と思っていて、「治療費ぐらいそのまま払えばいいじゃねぇか。」と思っていた馬鹿な記憶が(笑)………ぐえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………(←道場主のカンガルー・クラッチを食らっている)。
 まあそれでもいつの日か相手が許したり、トラウマが解消されたりする可能性は0ではない。だが、命だけはどうしようもない。
 戦国時代末期、越後の上杉景勝の重臣・直江兼続は殺人事件を裁いた際に、加害者一味に対して死罪を含む厳罰を下したのだが、被害者遺族が「どうしても生き返らせろ!」との無理難題を叫び続けたのにブチ切れ、宛名に「閻魔大王様へ」と書いた書状を渡しながら、「自分達で閻魔大王に生き返らせてくれるよう頼め!」と云いながら被害者遺族を閻魔大王の元へ送ったことがあった。

 まあ、これは極端な例だが、いずれにせよ「生き返らせろ!」は現実に不可能である。結局は完全な償いは不可能で、加害者に出来るのは可能な限り高額の賠償金を払い、前非を心の底から悔い、殺害に至った動機や、被害者の最後の状況を(例え辛くても)赤裸々に明かし、ひたすら謝罪するしかない。
 それで許せるか否かは被害者次第なのだが。


考察3 今一度問う。「実例があるなら教えてくれ!」
 加害者が千差万別なら被害者も千差万別である。死刑廃止論者は「殺したところで命は取り戻せない」という絶対の事実に加えて、「遺族の中にも加害者の死刑を求めない人もいる!」と叫んで死刑廃止を訴える理由の一つとしてくる。
 加害者の死刑を求めない遺族の実例や、死刑執行後に虚しさしか残らなかったと云う被害者遺族の意見は確かに耳目にしたことがある。ただ、それが全体としてどれくらいの割合なのかは是非とも死刑廃止派の方々に明らかにして欲しいものである。
 加害者の死刑を求める遺族の方が圧倒的に多く、死刑を求めない遺族が極少なら、「死刑を求めない遺族」の声を鬼の首を取ったように叫ぶ姿には眉を顰めざるを得ないし、もし賛否の実態が逆なら(死刑を求めない遺族の方が圧倒的に多いなら)死刑存置論者もこれを無視してはならず、廃止派にとっては廃止に向けた大きな推進力となるだろう。

 割合の多少はさておき、被害者遺族の中に加害者の命を奪うことより贖罪の日々を送ることを望む方々が存在するのは事実である。中には事件直後は怒りと悲しみから死刑を求めていたのが、時間の流れの中で償いを求める様にシフトした方々もいよう。
 それらの事実からも、「償い」を巡る議論は大切である。まして、弁護士は死刑回避理由の一つに、「死刑にするより生かして償わすべき」と訴えることが多いのだから、その論に従って死刑を免れて無期懲役囚となった者は犬馬の労を厭わず遺族への償いに粉骨砕身していて然るべきと俺は考える。

 だが、過去作でも訴えているが、俺はそんな実例を全く耳にしていない。俺が寡聞にして知らないだけで、無期懲役囚となった加害者が一生懸命に償いの日々を送り、それに対して被害者遺族が怒りや悲しみを軽減させ、許しに向かっている実例は常時1800人前後存在する無期懲役囚の中に「一人も存在しない!」とは思っていないので、死刑廃止論者でも、人権団体でも、弁護士でも、このサイトを見た読みすがりの方々でも良いので実例を知る人は是非教えて欲しい
 このことは前々から拙サイト内で訴えているのだが、一度として知らされたことは無い。偏に道場主の馬鹿の人望の無さや、HP制作能力の低さによる閲覧者の少なさを恥じるばかりである(苦笑)。

 死刑を廃止することになった場合でも、死刑を存続し続けるにしても、加害者が償いに務めることや、その実態を詳らかにすることが大切であることを改めてここに訴えたい。


不良刑事三白眼かく語りき

 加害者が「真に」料簡を改めたら…我々はそれ以上何もすることはできない。

 「遺族の中にも加害者の死刑を求めない人もいる!」
 まさしくスタンダールの『赤と黒』

 ジュリアンが元不倫相手のレーナル夫人を殺人「未遂」で死刑判決。当時のフランス(19世紀かな?)なので、ギロチンだわな。
 (レーナル夫人が嘆願したにもかかわらず!!)「平民ふぜいが貴族に楯突くとはけしからん!」とでも言いたげな…
 あれも気の毒な話で…


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令和六(2024)年一二月一九日 最終更新