第4頁 「死刑以上の残酷性」について
考察1 「無期懲役の方が残酷」という論について
第1頁の「格差」の問題でも触れているが、「無期懲役」が「死刑」以上に残酷であるとする意見がある。「死刑以上に残酷」であるとする故に、「無期懲役で良い!」という意見と「死刑にすべき!」という意見は人それぞれなのだが。
勿論、受刑者によってもどちらが残酷かは変わろう。
俺が思うに、一片でも「希望」を抱く者にとっては「死刑」の方が残酷で、「希望」を全く抱かない者にとっては「無期懲役」や「終身刑」の方が残酷と云えよう。
これも個々人による格差が大きいと思われるが、死刑囚の中には精神を病み、拘禁反応を示す者もいると聞く(勿論詐病も有り得る)。一方で、「懲役」に対して「住めば都」的に慣れてしまう者もいる。せっかく出所しても、「娑婆での人間関係に耐えられない………。」、「仕事も家族もなく、生活出来ない………。」と考え、「刑務所に戻りたい………。」と思った挙句に再犯に及ぶ者も少なくないことを考えると、「懲役」が「残酷」とは思い難い。
「最果ての刑務所」、「最も厳しい監獄」と呼ばれたかつての網走刑務所にあってさえ、出所した受刑者がその足で無銭飲食をして刑務所に戻りたがった実例があると聞く。
この手の願望に関する考察は第7頁に譲るが、ここでは個人の慣れや、適応力によるところも大きいとは思うが、やはり多くの者にとって、残酷度において「死刑<無期懲役」の図式は成り立たないのではないか、と思われるとだけ申しておきたい。
考察2 「懲役」は「生き地獄」であるべし
余りこんな書き方はしたくないが、時に「懲役」が舐められている気がすることがある。
少し話が逸れるが、日本社会が前科者に対して冷たいのも、懲役が(その実態がちゃんと知られているかどうかはともかくとして)軽く見られているから、という面がある様に俺には思える。
極端な云い方になるが、懲役が「死んだ方がマシ!」と思える過酷な生き地獄であれば、一日も早い出所を目指して模範囚となる者も出て来るだろうし、「そんなひどいところをようやく出所したのならもう悪いことはしないだろう。」と出所者を温かく迎える人々も多少は増えるのではないかと思われる。
ともかく、「戻りたい……。」と思われているような環境とあっては、罰としての機能も、更生の効果も、全く期待出来ない。
そんな服役願望が引き起こした最悪の例が平成30(2018)年6月9日に起きた新幹線殺人事件だろう。犯人の小島一朗は「一生刑務所にいたい。」というふざけた動機で新幹線車内にて三人を殺傷し、その内一名が死に至った。
勿論、小島と何の関係も無い、たまたま同じ車両に乗り合わせただけの人である。経歴に多少同情の余地があり、精神病も少しは感じられる小島だが、少なくとも起こした事件は計画的で、無期懲役になる為に裁判に対してどう振舞うかまで計算し尽くしていた。
小島は無期懲役を希望する一方で死刑は厭うていて、殺す人数も「一人まで」と決め、結果、求刑からして無期懲役という、小島の願望を叶えるふざけた展開が成された 。
結果、地裁判決は無期懲役。検察としては求刑通りなので控訴は出来ず、念願叶った小島は控訴せず、裁判長に止められたにもかかわらずその場で万歳三唱しやがったのだった!!!
その後の小島が無期懲役囚としてどういう心境に居るか俺は知らない。
判決確定直後の報道で見たところによると、「一生刑務所にいたい。」という願望がすべてで、仮出所の可能性を生まない為に遺族や被害者に対する謝罪を拒み、もし仮出所になれば、「また殺人をする。」と抜かしていた。
正直、刑務所内でいじめに遭ったり、ホモ囚人にカマを掘られたりすることで、「あんなことするんじゃなかった…………。」と後悔する日々を送っていて欲しい。勿論いじめや強姦を期待するなど人としてあるまじき願望だが、少なくとも小島には、「懲役・ムショ暮らしがこんなにひどく厳しいものだとは思わなかった…………。」との想い・後悔の日々でいて欲しい。万一、今の小島が現状に対して、「願ったり叶ったり。」と思っているようなら…………………日本の懲役は大甘過ぎると判断せざるを得ない。
考察3 未執行での獄死も考えよう
凶悪犯罪者を死刑にするか?無期懲役にするか?は案件ごとに様々なケースがあり、単純には断じられない。勿論俺は無期懲役が求刑されるような被告すら死刑が相応しいと思っているので、無期懲役という判決を求めることが極めて稀なのだが、時に死刑判決に意味が無いこと感じる場合があるのを白状しておきたい。
それは老齢の死刑囚に対してである。
死刑囚は文字通り死ぬことが刑で、逆を云えば命を取られる以外の何かを課されることはない。それゆえ周知の通り死刑囚には労働義務が無い。独房なので対人関係に悩むことも無ければ、執行の日まで税金を使って生かされる。もし娑婆に残した資産や支援者がいれば好きな食い物の購入も可能だ。
変な話、「絶対に執行されない。」という確証が抱ければ、「死刑囚になりたい!」と考えるふざけた輩は潜在的に多数日本社会に存在すると思われる。
勿論、死刑囚の多くは何時執行されるか分からない恐怖に曝され、平日の朝は独房の前を通る靴音が自室の前に止めるのではないかと怯え、通過したことに胸を撫で下ろす日々を送っていると聞いたことがある。その怯え自体は「ザマあ見ろ。」の一言だが、本来なら「半年以内に執行」と定められている死刑が全くその通りには執行されておらず、再審請求や冤罪世論や支援者の能力では何十年も執行されないことも見込まれる。
そうなると死刑確定時点で老齢に達していた死刑囚の場合、執行されることなく天寿を全う出来る可能性が出て来るし、実際、執行されることなく天寿を全うした元死刑囚は過去に何十人もいる。
まあ、だからと云って、凶悪犯罪者が老齢なのを指して、「こいつは死刑判決を下しても執行前に天寿を全うしかねないから、無期懲役にしよう。」という考えが正しいとも思えない。ただ、死刑であれ、懲役であり、罰金であれ、判決を下すだけで実際に課されない様であれば誰も満足・納得の出来ない、時間と税金の無駄でしかない。
刑が成される前に天寿を全うされる様では、残酷もへったくれも無いことを日本の司法は真剣に向き合うべきだろう。高齢化社会故に嫌でもこの手の問題は今後増えて来るだろうし。
不良刑事三白眼かく語りき
「今後の危険度合い」を判定するスコアのようなもので判決を出すことができれば、非常にやりやすいのだが…
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令和六(2024)年一二月一九日 最終更新