第6頁 「終身刑」との相違について
考察1 改めて押さえておくべき相違点
この頁の内容は第2頁と被るところが多いのを閲覧者の方々には予め御了承頂きたいのだが、第2頁でも触れたように、死刑を求刑された凶悪犯が無期懲役判決を下された時に、ネット上で必ず展開されるやり取りがある。
それは、無期懲役を終身刑と同一視する事への否定である。
くどいが、無期懲役と終身刑は異なる。
無期懲役は名前の通り、服役期間が「無期」な訳であって、字面だけで語るなら、服役3日で出所したとしても看板に偽りありと云う訳ではない。もっとも、そこは有期刑よりも厳罰故にかつては10年、有期刑の上限が30年となった今では30年以上服役して初めて仮出所対象となる。
そして現代の日本には無いのが終身刑である。
「現代の」としたのは、過去にはあったからである。永牢(えいろう)である。時代劇などで御奉行が裁きを下す際に、「終生入牢」と表現する様に、終身、つまり死ぬまで牢から出られないことを意味する。
そりゃあ、無期懲役でも年齢や病気、場合によっては刑務所内の事故により命を落とす形での出所、つまり裏出所する可能性はあるだろう。ただそれは有期懲役でもあり得る話で云い出せばキリがない。
いずれにせよ、無期懲役が確定した服役囚に対し、「もう出て来れない。」と囁く者もいれば、「いずれ出て来る。」と囁く者もいる。まあ、これは罪状や年齢で大体見えて来るので、双方の意見が「測った様に半分半分」は少ないだろう。例えば、無期懲役確定時に被告の年齢が70歳を過ぎていて、しかも死刑になっていてもおかしくない程多人数を殺め、反省・悔悛を示すどころか被害者や遺族を罵る態度を取る様な輩であれば、服役30年前に天寿を全うする可能性が高く、罪状が酷ければ10年に1回の仮出所を巡る検討で却下される可能性が高い。
逆に未成年で無期懲役が確定して服役した者であれば、30年が40年であれ、50年であれ可能性は充分で、その頃には事件が風化している可能性も低くはない。
いずれにせよ、人間の一生で考えれば長い時間ではある。前頁でも検証したが、30年も刑務所に入っていれば、出て来た時にはかなり世界が変わっているだろう。特にIT関係は。
それ故に「無期懲役」に対して、「事実上の終身刑」とのイメージが重なる服役囚は決して少なくなく、言葉悪い云い方をすれば、相違について深く考えていない人々も少なくないと思われる。
だが、本当にくどいが、無期懲役と終身刑の格差は大きい。洋を問わず、それこそ死刑の存廃問題を左右しかねない程に。
考察2 立場とフィーリング
かように無期懲役と終身刑は明らかに異なる内容でありながら、時として混同され、時としてその相違がスルーされる。まあ、現代日本に終身刑が無いから現存する死刑・無期懲役程には顧みられないのもある程度は仕方ないかもしれない。
だが、無期懲役と終身刑を事実上同一視するか否かについては、個々人の置かれた立場とフィーリングによって大きく異なるだろう。
細かく云い出せばキリがないから大雑把に例えるが、「いつかは出所したい………。」と考える無期懲役囚とその支援者は同一視しないだろう。一日でも早い出所を希望としてあらゆる努力尽力を払うだろう。
逆に高齢故に仮出所を見込めないと思っている無期懲役囚、丸で反省・悔悛を示さず娑婆に戻る意志の無い無期懲役囚にとってはその相違は意味を成さないだろう。
一方で、同じ仮出所を切望する者でも、その罪状、遺族感情の峻烈さ、身元引受人の不在により仮出所が絶望的な無期懲役囚にとっては無期懲役と終身刑はほぼ同義だろう。
別の視点に立つと、大切な身内を殺められた被害者遺族にしてみれば、どんなに僅かな可能性であれ制度上仮出所の可能性がある無期懲役刑は到底終身刑と同一視出来ないだろう。
また自分の住む地域から無期懲役囚が生まれた場合、仮出所した無期懲役囚が必ずしも地元に戻るとは限らないが、「やばい奴が帰って来るかも知れない。」と思えば、やはり無期懲役と終身刑は同一視出来ないだろう。
かように、個々人の立場とフィーリングによって、「無期懲役と終身刑は全然違う!」という者も、「無期懲役も終身刑も同じ(または、大して違わない)。」と感じる者もいる訳だが、この様な幅広い物の見方や感じ方が生まれるだけでもやはり両者の格差は大きく、やはり俺は今後も多くの無期懲役判決に対して、今後も「何で死刑にせーへんねん!」との憤りを抱き続けるであろうことは想像に難くない。
考察3 可能性有無の格差
様々な意見があるが、俺的にはやはり無期懲役と終身刑の格差は大きいと思う。そしてその相違を決定付ける要因は「例え僅かでも仮出所の可能性が有るか否か。」だろう。勿論可能性を一顧だにしない者にとっては両者の格差は意味を為さないだろうけれど。
ただ、良くも悪くも人間は変わり得る。現時点で仮出所に一切の希望や関心を抱かない無期懲役囚でも、服役中の同房囚人・刑務官・面会者との接触の中で考えを変える可能性が無いとは云い切れない。そうなるとその人物にとって無期懲役が決して終身刑と同じではないという事は大きな意味を持ってくる。
まあ、中には服役を続ける中、ムショ暮らしに馴染んだり、仮出所が狭き門であることに希望を失ったりすることで「結局終身刑も同然だな………。」と悪い方向に思考をシフトさせるものもいよう。そのことも含め、可能性が有るか無いかの差はやはり大きな要因と云えるだろう。
俺自身、一人一人の無期懲役囚を精査した訳では無いが、無期懲役囚が仮出所に希望を抱くことで模範囚となったり、前非への悔悛を深めたりすることで更生してくれればと思うこともあるし、現在の仮出所状況に失望することで服役生活を苦しんで欲しいと思うこともある。
こうなると「仮出所無しの終身刑」の導入を議論されて欲しいとは思うが、安直な導入は考え物だと云う気もする。何とも複雑な話である。
不良刑事三白眼かく語りき
この手の話は「憶測」でしかできないのでパス。
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令和六(2024)年一二月一九日 最終更新