第5頁 「償い」を巡る死刑廃止論について

キーワード償い
死刑廃止重要度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
死刑存置重要度★★☆☆☆☆☆☆☆☆
重視すべき判例特になし。強いて云えばすべての死刑案件
 「凶悪犯罪者を殺したところで被害者は生き返らないし、何も生まない。ならば生かして償わせるべきだ。」とは、死刑に反対する方々からよく発せられる主張である。

 確かに一理ある。

 犯人を死刑にしたところで被害者が生き返る訳ではないのはその通りだ。『キン肉マン』の世界の超人パワーの移し替えの様なことが出来れば話は別なのかも知れないが、俺も死刑が何かを生むとは思ってないし、「死んで償え!」という主張に対して、「死ぬことが償いになるとは思えん。」と思っている。
 正直、俺は凶悪犯に対してとても温厚ではいられないから、死刑執行は「償い」ではなく、「生きることすら許せない輩への重罰」と捉えている。

 いずれにせよ、失われた命に対して、それに見合う「償い」が出来るとも思えない。
 単純な窃盗なら、盗んだ金品の何倍かに相当する金銭を支払った上で謝罪すれば償いにはなり得よう。だが、命の問題に限らず、一生抱える様な障害、死ぬまで癒えることのない心の傷も償いようはない。
 「損害賠償」と云う方法があるが、金で片の付かない問題も多いことを誰もが承知の上で、他にやり様がないのでこの方法が万事に採られ、それとは別途に一般社会に置いておくことが許されないと判断された者が懲役・禁固となり、社会から隔絶される。
 死刑廃止を訴える人々も、凶悪犯罪者を社会から隔絶することに反対する者は僅少である(稀に無期懲役にする反対する者もいるが)。一生閉じ込めておけば(脱獄などの例外を除けば)取り敢えずは良民に危害を加えることは無いから、それから償いを行わせることは、考え方としては合理的なのだが、有効な手段を俺は聞いたことが無い。



考察1 「償わせる。」‥‥‥……どうやって?
 過去作でも書いたが、弁護士は有罪判決が逃れようのない被告でも、その罪を少しでも軽くするのが責務だから、極刑である死刑は何としても避けるべく努める。これに前後して弁護士に死刑廃止論者が多いのは無理ないと思う。
 職務的に弁護士は自らが担当する案件で死刑を避けるべく動くのは必然だし、弁護士が被告に自らが犯した罪を自覚させ、徹底した贖罪・謝罪の念を抱かせ、それを基に死刑よりも償いを重んじる為に死刑回避を訴えるのは大賛成。例えその被告に対して、「駄目だ!テメーの様な奴は八つ裂きが相応しい。」と考えていたとしてもその弁護には敬意を抱く(まあ、実際には死刑が避けられないような重罪では詐病臭い精神異常を訴えるケースの方が多いが)。

 それゆえ、繰り返すが、「生かして償わせるべき。」という主張には一理あると思っている。だが、真面目に問う、どうやって償うのさ?

 死刑を免れた凶悪犯が償いを行うとしても、民事訴訟で成立した賠償金を払うぐらいであろう。それも本当に履行するかどうか極めて疑わしい。また現実に個人が支払い得る金額には自ずと限界がある。とんでもない罪状に対して何百億と云う賠償金の支払いを裁判所が命じても、被告の一族が全財産を放出しても、一生働いても支払えないだろうし、仮に支払われたところで、「はい、終わり!」と云う態度が通る筈もない。

 死刑廃止論者は凶悪犯罪者といえども尊い命を奪うことに反対する訳だが、それ程に尊い命を先に奪ったのが死刑を求刑される様な輩なのだ。命の代わりを為す程の償いなど最初から不可能だ。それを承知の上でそれに少しでも近づく償いの気持ちを本当に抱いているならそれを否定はしないのだが。



考察2 死ぬことが償いになるとは思わん。
 実際問題、何が「償い」になるかは人それぞれで、ケース・バイ・ケースで、決して一定しないから尚更難しい。
 自分の身内を殺した凶悪犯に対して、「一秒でも息をしていることが許せん!」と考える遺族もいるだろうし、「殺すよりも、何故そんなことをしたのか正直に話し、それを心から詫び、一生悔いて、人の為に尽くして欲しい。」と考える遺族もいるだろうし、その両方の狭間で更に苦しむ遺族もいよう。
 いずれもごく自然に抱き得る感情であると同時に、長過ぎる日本の裁判が経過する中で想いや程度が変化することもあり得るだろう。故に「償わすべき。」と云っても、余程の具体案を出さないと、「よし、償って貰おうか。」ならないだろうし、「償わすべき」と主張する者が具体案を示したのを聞いたことも無い。

 故に俺は被告人や弁護士が「償う。」と云ってもまず響かない。
 例えば、ある被告人が元々は善良な人間で、強烈な怨恨から思い余って殺害した後に、遺族に対して泣いて謝罪と贖罪を訴えれば多少は響くかも知れないが、まずそんなケースでは死刑にならないだろうし、基本、殺人犯の「償う。」という台詞は命惜しさからの死刑逃れにしか聞こえない。

 ただ、これも繰り返しになるが、俺は「死んで償え!」と云う考えにも賛同しない。被告が死んで何かが生まれる訳ではないから「償い」にはならない。
 俺が凶悪殺人犯に「死ね。」と云うのは、被害者が生きていれば、美しいものを見て、美味しいものを食べ、人生過程で結婚したり、子を成したり、身内のめでたごとを共に祝ったり、が出来たであろう時間を奪いながら、そ奴に人生が残されることが許せないからで、端からそんな奴が償えるとは思っていない(またそんな凶悪犯の多くは罪を認めなかったり、居直ったりしている)。

 「償えないのだから、それ以上無駄に生きて、被害者が二度と遅れない人生を貴様が送るな!」と云う想いが暴論なのは認めるが、そんな暴論を浴びせたくなるのが死刑を課される様な凶悪犯罪者であり、そんな暴論を浴びせたくなる凶悪犯罪者の多くが死刑を免れているが、生き残った彼奴等はどんな償いをしていると云うのだろうか?



考察3 「償っている。」なら教えて!!
 一口に「償い」と云っても難しい。何が「償い」になるかは人それぞれだろうし、「命」と云う決して還らぬものを奪った凶悪犯が事後に何をしたところで償えないことも多いだろう。

 そして殺人ならずとも、「償い」は簡単ではない。掠り傷程度の傷害に対しても相手を一生許さない人間もいるだろうし、軽い被害に対して破格の賠償金が支払われれば却って喜ぶこともあるかも知れない。
 基本、被害者や遺族が納得しなければ「償い」にはならないのだが、それだと極論すれば、被害者が性悪な人間だと、掠り傷一つの過失傷害に500万円払っても、「許さん。もっと払え。」との横暴主張が可能となる(勿論現実にはそんなことが無いが)。
 まぁ、道場主の馬鹿が、美熟女痴女に尻を触られて、それに対して賠償金をもらえば二重に喜び‥‥‥………ぐええええええええええぇぇぇぇぇぇ‥‥……(←道場主のケンタウルスブリーカーを食らっている)。

 イテテテテテテ………まあ、真面目に語るが、かくも「償い」とは難しい。加害者が心の底から反省し、行動的に充分な「償い」が為されても、被害者サイドで「腹の中では舌を出しているかも。」と思われたら「償い」が本当の意味では成立しない。
 だが、あらゆる凶悪事件の加害者が「償い」を模索しているなら、それは一生懸けてでも続けて欲しい。

 正直、裁判の場において「生かして償わせるべき。」と弁護士が主張するのは阿呆程聞いてきたが、死刑を免れた凶悪犯が具体的にどんな「償い」をしたか全く聞いたことが無い。
 だが、俺が寡聞にして聞いていないだけで、実際に償いに尽力している受刑者や、それに対して許さないまでも怒りや恨みを軽減させた被害者がいるのなら是非その実例を聞かせて欲しい
 死刑存置論者の俺だが、被害者遺族が納得する「償い」の例が増え、それによって何も生まない死刑が回避され、多少なりとも癒される被害者が増えるなら、その事で死刑が減ることを俺は歓迎する。

 難しいとは思うがね。何せ「命の代替」と云う端から不可能な命題に挑む訳だから。
 俺が考え付くとして‥‥‥……腎臓でも目玉でも一つあれば事足りる者なら片方を売ってでも賠償金を増やすとか、被害者が少しでも嫌なことがあれば加害者をいつでも好きな時に殴る蹴るが出来ることを認めるとか、加害者が一生被害者の奴隷となって犬馬の労にも従うとか、被害者が難病に掛かったら、それを治療する新薬の実験台になるとか‥‥‥………どれも人道・人権上問題があるな‥‥‥‥‥‥‥‥……。
 ただ、「どうしても死にたくないから、償わせて!」と主張するなら、それぐらいの苦難には耐えろと云いたい。凶悪犯の手に掛かった被害者はそんな辛くても生きることすら断たれたのだから。



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令和三(2021)年二月八日 最終更新