第6頁 「国際情勢」を巡る死刑廃止論について

キーワード世界の潮流、世界の趨勢
死刑廃止重要度★★★★★★★★★☆
死刑存置重要度★★★☆☆☆☆☆☆☆
重視すべき判例特になし
 「死刑廃止は世界の趨勢!」という主張も死刑廃止派からよく発せられる台詞の一つである。  要は「多数派の賛成することが正しい。」と云うものの見方で、少数派になったと云うことは「間違っている」か「時代遅れ」と見做されているということだろう。

 正直、個人的にこの主張程響かない死刑廃止理由は無い。ついでに云うと賛成理由としても。
 と云うのも、人間都合の良い時だけ多数派に立ち、少数派に陥った時はまずそのことに触れない。と云うか、難癖付けて少数派であることを認めないことも多く、人間の往生際の悪さをまざまざと見せつけられるからだ。

 「世界の趨勢」や「世界の潮流」を軽んじて良いとは云わないが、盲目的に利用するのも考え物である。



考察1 都合の良い時だけ多数派に立つな
 確かに国の数で云えば、死刑存置国よりも死刑廃止国の方が多い。そして存置国から廃止国になる例と、廃止国が存置国に戻る例とでは、明らかに前者の方が多い(執行停止中で公式な態度を決めかねている国も多いが)。
 「死刑廃止は世界の潮流」と云うのは全くの誤りではないだろう。

 だが、周知の様にこれが国内だと逆転する。日本国内で死刑を存置すべきという意見は8割に上り、過去何度も行われた死刑に関する世論調査を見てもこの8割という数字が大きく落ち込んだ例は無い。
 それゆえ、死刑廃止派は世界の潮流」を訴えても国内において少数派であることは軽視・無視する。だが、同時に存置派もまた、死刑存置が国内のおける多数派であることを主張し、世界の国家で云えば少数派であることを軽視・無視する

 まあ、人間誰しも不利な勝負はしたくないものだ。
 死刑廃止派が「世界の潮流」を持ち出し、死刑存置派が「国内世論」を持ち出すのも数の上で有利な勝負をしたいからであり、どっちもどっちと云える。

 この数の問題に関して俺が辛辣な云い方をするのは、存置派も廃止派も都合の良い時だけ多数派であることを持ち出し、少数派であることに難癖付けて認めないのが実に見苦しからだ。
 例えば、「世界の潮流」を持ち出して死刑廃止を訴える廃止派は「国内世論」で死刑存置意見が多い事実を持ち出しても、「終身刑が成立すれば死刑に反対する人はもっと多い。」、「世論調査の意見の求め方が恣意的・誘導的。」、「国際的に野蛮とされる死刑は、国内の賛成派の数に関わらず停止・廃止すべき。」と云い出す。
 そして「国内世論」を持ち出して死刑存置を訴える存置派は「世界の潮流」が死刑廃止に傾いている事実を持ち出しても、「日本は日本!」、「世界の潮流が必ずしも正しいとは限らない!」と云って、世界的な数の不利を一顧だにしない。

 じゃあ、数の多い少ないなんか関係ないだろうが!!

 個人的感傷だが、これだから俺は多数決が嫌いである。
 話が少し逸れるが、日本弁護士連合会(日弁連)は裁判員による死刑評決に対して、「全員一致のみにすべき。」と主張している。「命の問題が絡む故、一人でも反対者がいたら死刑判決を下すべきではない。」と云う意見は一理ある。では、一審・二審・三審のすべてで全裁判官が「死刑!」として確定した死刑が執行された場合なら、彼等は抗議しないのだろうか?絶対するよな(苦笑)
 賭けても良い。日本の死刑廃止派の殆どは、世界の国々が次々と死刑を復活させる流れが生まれても死刑に賛成しない、と。

 ここで「世界の潮流」に関してもう一つの意見を。
 「世界の中の日本」を考えた場合、「世界の潮流」を重んじることが悪いとは云わない。ただ、少し極論じみるが、「世界の潮流」を重視し、これに乗ることを「是」とするなら、死刑以外でもそうすべきである。
 例えば、憲法で戦争を放棄し、(建前上とは云え)軍隊を廃止しているのは日本だけである。「世界の潮流」で云えば、日本も軍隊を持つのが自然である(国防軍創設が軍国主義者を増やすことを懸念する俺でも、テロリスト対策や、災害時の救助活動から自衛隊は必要と見ている)。
 だが、死刑廃止派に多い左翼の殆どは、「世界の日本以外の国はそうだから。」と云っても日本の再軍備を認めない。

 「都合の良い時だけ多数派であることをアピールしている。」と云われて、反論出来るかな?
 勿論このご都合主義は死刑問題だけではないし、死刑廃止派だけではないことを改めて明言する。
 俺は群れたり、大勢に流されたりするのが嫌いな性格だから………何?ひねくれ者?やかましい!‥‥‥……コホン、まあ意見の是非はどうあれ、少数派だからと云って縮こまっていろと云うつもりはない。
 本気で持論が正しいと思うならどこまでも主張すればいいと思う(勿論然るべき根拠・正論をもってだが)し、デマゴーグに陥れば間違った意見・考えが多数派になることも充分あり得る。少数意見だからと云ってそれが封じられるのは怖い社会である。

 だから締めに云っておきたいのは、多数派であることを主張するなら、少数派になった際は大人しくして欲しいし、多数派・少数派に関係なく自分の意見を貫くなら多数派になった場合もそれをたてにデカい面をするな、と云いたい。



考察2 「世界の潮流」も見方・立ち位置で変わり得ます。
 少し考察してみたのだが、死刑廃止が「世界の潮流」と云うのは本当だろうか?
 答えを先に云えば、見方次第である。
 確かに国の数で云えば、死刑を廃止している国の方が多いし、廃止していた死刑を復活する国よりも存置していた死刑の廃止を決める国の方が圧倒的に多い。これは公平に努めるなら死刑存置派として無視してはいけない。

 ただ、「世界」を「国の数」で見るのではなく、人口で見れば、様相は大きく変わる。
 世界一の人口を持ち、且つ世界で一番死刑を執行する中華人民共和国の人口は13億で、世界の人口の5分の1を占める。
 また世界二位の人口を持ち、やはり死刑存置国で実際に執行も行っているインドの人口は10億で、これに3億の人口を持つアメリカ合衆国、2億の人口を持つインドネシア、1億2千万の人口を持つ日本、と云った死刑存置国の人口をカウントすると、この五ヶ国だけで約30億人となり、世界の6割が死刑を存置してることになる。

 勿論ある国の人間だからと云って全員が死刑に賛成している訳でもなければ、全員が死刑に反対してる訳でもない。ただ、死刑廃止国も必ずしも廃止派が多数を占めた状況で死刑を廃止した訳ではない(日本が死刑存置国だからと云って、日本人全員が死刑賛成民族みたいに云われたら嫌でしょ?死刑廃止派の皆様方?)。第3頁で触れたカナダの様に死刑復活を議論した国もある(カナダでは否決された)。
 こうなると、国の数で死刑廃止が多数派になっていても、人類全体の意見で見れば分かったものじゃない(宗教圏で見るとまた様相は変わって来る)。

 ただ、同じことは国内の世論調査にも云える。
 前述した様に日本国内の世論調査では、いつの調査でも概ね死刑存置派は8割に上る。だが、死刑廃止派は「実態は異なる。」として死刑存置意見が多数派であることを認め渋る者も多い。
 例えば、「仮釈放なしの終身刑」が確立すれば、「きっちり社会から隔絶されるのであれば敢えて殺さなくても………。」、「あっさり死なせるより、死ぬまで超重労働でこき使い、賠償金を稼がせた方が………。」と考えて、廃止賛成回る現存置派の人々も決して少なくないことだろう。
 その意見自体は否定しないが、現状「仮釈放なしの終身刑」は確立していない(『無期懲役が事実上の終身刑化している。』と主張する人もいるが)。成立していないことで死刑に賛成している以上は「現・存置派」であって、決して「現・廃止派」ではない。
 かかる人々を「廃止派」とカウントしたいなら、「終身刑を確立してから云え。」の一言である。
 勿論、これを目指して死刑廃止派の人々が終身刑創設に向けて頑張るのは応援こそすれ、決して非難しない。また実際に終身刑が確立した際に存置派から廃止派に転向する人々を俺は「裏切者」とは見ない。

 締めに少し、敢えて愚痴を云わせて貰う。
 それは現状、日本の死刑に関する世論調査で「死刑を廃止すべきではない。」という意見が8割に上ることに「質問の仕方が恣意的。」と主張する連中に対してだ。
 連中は、「「どんな時でも死刑は廃止すべきである。」なんて聞き方をすれば、「Yes」と答えることを多くの人々が躊躇う。」として、丸で質問の仕方が悪い、又は誘導的だから死刑存置派が多い結果になっていると云いたい気なことを抜かす。

 阿呆ほざくな。
 確かに、基本殺人事件であっても犯人を殺すより償わせることを尊重して多くの裁判に対して死刑に反対しつつも、オウム事件北九州一家監禁虐待殺人死体遺棄事件闇サイト殺人事件の様な被害者の数が甚大だったり、動機や事後の態度が極めて悪質だったりした場合だけ死刑に賛成する人も決して少なくないだろう。
 だが、死刑を廃止すると云う事は、かかる残虐非道極まりない事件であったとしても死刑にしなくなるわけで、「どんな時でも死刑は廃止」でなければ成立しない。「死刑はアカンけど、オウム事件の様なとんでもない事件の場合だけ死刑にしても良い。」では、死刑を廃止しているとは云えない。

 死刑存置派の中にも、「原則人を殺せば死刑。」という人もいれば、「動機が身勝手で、殺害手口が残虐で、反省の態度も全く見せない場合のみ死刑。」という人もいるだろう。
 だが、死刑廃止とは、「どんな酷い犯罪でも死刑にしない。」と云う事なのだから、「「どんな時でも死刑は廃止すべきである。」なんて聞き方が悪い!」なんて主張はちゃんちゃら可笑しい。

 「死刑廃止派を多数派になるようにする。」という考え方は悪くない。「そこまでするなら死刑にするまでもない…。」という意見を抱く人を増やし、それが国内でも世界でも「真の潮流」となって死刑が廃止されるなら、俺は異を唱えつつもその流れを尊重するだろう。



考察3 犯人引き渡し条約の不利
 さて、「死刑廃止が世界の潮流。」と云う意見をかなりこき下ろしたが、都合の悪いことに目を伏せるのは卑怯なので、日本が数少ない死刑存置国であることの国際的に不利な点を触れておきたい。

 それは、国外に逃げた外国人犯罪者を引き渡してもらえない、と云う事である。
 令和3年2月8日現在、日本が犯人引き渡し条約を締結しているのはアメリカと韓国のみである。「悪人といえども自国民を他国に引き渡したりしない。」と云う考えは根強いが、それでも基本、「外国でこんな酷いことをした奴は、その国の司法に引き渡して罰せられるべきだ。」と捉えられれば犯罪者は当該国に引き渡される。

 だが、欧州人が日本で殺人を犯して、母国に逃げれば欧州の国々はその犯罪者自国民を日本に引き渡さない。死刑廃止国として、自国民が万に一つも死刑になる可能性に曝さない為である。
 そしてその考えがある故に、死刑廃止国は日本と犯罪者引き渡し条約を結ぼうとしない(締結している韓国は20年以上執行が無いが、一応は存置国である)。

 この問題は難しい。
 いくら自国民だからと云って、とんでもない凶悪犯罪者を、被害を出した国の司法に引き渡さず、自国で庇う姿勢には眉を顰めたくなるが、もし日本人が「公共の場で屁をこいたら凌遅刑。」なんて法律のある国で屁をこいてしまって日本に逃げて来たとしたら、相手国から「引き渡せ!」と要求されても、「そんなことでそんな酷刑にするなよ!」として引き渡さないだろう。
 勿論これは話を分かり易くするための極端な例だが、サウジアラビアでは同国でベビーシッターとして働いていたパキスタン人の少女が、過失で同国の法に触れ、斬首刑に処された。勿論国際社会は非難し、パキスタン政府も彼女を処刑しないように求め、処刑後には抗議した。

 勿論、他国に行くならどんな行為がその国の法に触れたり、重罪になったりするかぐらいは事前に承知の上で行くべきだが、余りに自国と違い過ぎる刑法に「国が違う。」、「法律が違う。」で酷刑を受け入れられる訳でもない。
 それゆえ、日本が死刑制度を維持している故に国際社会の協力を得られていない事柄が有るのは重視しなければならい。かといって、「じゃあ、凶悪犯罪者をちゃんと引き渡してもらうために死刑を廃止しよう。」と云う主張が正しいとも思えない。
 結論が出せなくても申し訳ないが、存置派だからこそ、死刑制度の維持が持つ問題から目を逸らしてはいけないだろう。


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令和三(2021)年二月八日 最終更新