本作は光栄社刊『爆笑三国志』のパクリです。

第陸頁 人選と今後について

 冒頭でも書いたが、本作の前身となる過去作「菜根版名誉挽回して見ませんか?」は拙房立ち上げ当時(平成一三(2001)年一一月)に制作した、拙房制作の端緒となったものである。
 爾来、薩摩守は歴史上の様々な事柄を題材に、おおむね「出来事」よりもそこに関連した「人」に注目し、様々な見解や考察を綴ってきたし、これからもそう続けるだろう。
 その折に薩摩守が心掛けていることは「菜根道場道場訓」にも掲げている、「極論に正論無しと心得よ。」「如何なる貴き教えも妄信する勿れ。如何なる偉人も盲従する勿れ。」である。

 簡単に云えば、好きな人物だからと云いて短所に目を瞑らず、嫌いな人物だからと云って長所をスルーしないという事である。
 「そんなこと当たり前じゃないか。」と仰る方々も多いと思うが、これが意外に難しい。人間である以上依怙贔屓はどうしても存在する。好意的に書く人物の功績・長所は進んで書き、過失・短所はスルーしそうになり、悪意的に書く人物の場合はその逆に陥り易い。
 否、実際にそうしていない地震は全くない。それ故、薩摩守は人物に対する好き嫌いを明言し、閲覧者の方々に薩摩守の依怙贔屓が文章に反映されている可能性と、それを考慮して閲覧頂くことを常々促している。

 一例を挙げれば嫌いな人物の一人に織田信長がいる。
 特に信長が長島の戦いで開城に応じた一向宗徒に対して攻撃しない約束をしながらそれを反故にして殲滅に出たことは二作品において罵っている。
 だが、薩摩守は信長が宗教勢力と事を構えたことは非難していない。当時の寺院は現代では考えられないほど強力な武装勢力で、その武力に物を云わせた横暴な振る舞い・他宗派に対する武力介入も散見される(特に比叡山延暦寺はかなり腐敗していた)。
 そんな宗教勢力に対して信長が徹底期に叩き、豊臣秀吉が刀狩りを徹底的に実践し、徳川家康が寺院法度を制定したことで日本の宗教勢力は世にも稀な平和組織となった。偏に三英傑の歴史的大功績と云え、その先鞭を付けたのは紛れもなく信長だった。そしてその信長は個人的な信仰には極めて寛容な人物だった。

 ………とまあ、一人の人物の一つの出来事に対する功罪と長短を論じただけでこれだけ書けることは出て来る。単に薩摩守に文章を短くまとめる能力が欠けているだけと云われると弱いのだが(苦笑)、改めて「人」を論ずることの難しさを痛感している。
 そんな中、リクエストを受けたことと、自分の歴史に対する取り組みの原点を顧みようと思い立って、本作を制作するに至った。

 改めて思うのは、「人」に対する好悪のみならず、「書きたい!」と思った長所・短所に対してかなり薩摩守の感情が反映されるという事である。
 本来歴史の真実を論ずるなら、私的感情は不要どころか邪魔とさえ云えよう。そのことも含め、一介のサラリーマンで片手間に独断偏見史観を綴っている薩摩守の歴史を探求し、世に伝える能力は、本職の歴史家は勿論、歴史を題材とした書物を綴る作家にも大きく劣っていると実感せざるを得ない。
 ただ、好き嫌いや独断・偏見を完全に排除出来た史家や作家を薩摩守はいまだに知らない。同時に公平公正に物事を見る際に邪魔となる感情も、それがある故に見えて来るものも有ると感じている。

 そんなこんなを考えながら、本作の締めに薩摩守が「名誉挽回して見ませんか?」に対して思ってきた「過去」、本作を完成させて思う「現在」、同様の趣旨に関する作を作るかも知れない「未来」に対する所感を述べたい。
 勿論薩摩守の個人的な想いなので、興味のない方は閲覧されなくても一向に差し支えありません(笑)。


過去
 冒頭にも掲げた様に、「菜根版名誉挽回して見ませんか?」のモデルとなったのは光栄社刊『爆笑三國志』の一コーナー、「名誉挽回して見ませんか?」である。
 『三国志演義』において、劉備及びその家臣達が英雄視されたことで、曹操陣営が悪玉とされ、戦場における手柄を劉備陣営の物とされたり、数々の戦場で活躍しながらそのことはスルーされ、劉備軍に敗れたことは大々的に書かれたり、等で同作に登場する歴史上の人物はかなり過小評価された者が少なくなく、その実態に迫ったこのコーナーを読んだ際、純粋に「これはいいコーナーだ………。」と思った。

 このことは拙サイト立ち上げ前から道場主が人生における取り組みとして重視してきた、「如何なる貴き教えも妄信する勿れ。如何なる偉人も盲従する勿れ。」にも合致し、拙房立ち上げに際して、「英雄でも非難すべきは非難しよう、凡将・賊将・愚将でも賞賛できるところは賞賛しよう。」という想いの下、過去作が生まれた。

 改めて、この根本姿勢が変わることは無いと思う。その後の作品においても採り上げた人物達に対して、可能な限り認めるべき長所は認め、非難すべき短所は非難するよう努め、一方で好き嫌いによる影響も触れてきた。もっとも、例外もあり、「天然痘との戦い」「飢饉なんかにゃ負げねぇぞ」に関しては採り上げた人物をべた褒めしてしまっている(苦笑)。


現在
 第弐頁で採り上げた、高師直・楠木正儀に対するリクエストを受け、想うところあり、本作を制作した。タイトルをつける際に、特撮房で初期に取り上げた作品を、宝島社の『怪獣VOW』『帰ってきた怪獣VOW』に因んで付けたことに習い、『帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」』とした(笑)。

 ほぼ、前作に準拠した作となったが、同時にかなりピンポイントな論点の作となり、人物像にどこまで正確に迫れているかには一抹の不安と反省が残るものとなった。


未来
 いつの日か「懲りずに「菜根版名誉挽回してみませんか?」」を制作したいと思っている。ただ、ここに一つのこだわりを持っていることを明言しておきたい。
 それは、

 リクエストを受けてから作る。

 という事である。
 勿論、歴史上の様々な出来事や概念に関する作を作る中で、そこに関連する人物の長所短所は触れ続けるが、本作の形態で制作するのはリクエストを受けた上で、という事である(リクエストされた人物に何人かの人物を併記するのはあると思います)。それゆえ、制作されるのは何年後、何十年後になるか分かりません(苦笑)
 ともあれ、その際に採り上げる人物の人物概要について、三英傑並みに有名な人物なら「略(笑)」で済まし、そこそこ有名どころなら概略とし、名前か一、二の事跡ぐらいしか世に知られていない人物なら略歴も併記する必要があると感じている。
 誠、歴史に限らず人を論じるとは難しい。そりゃ、短くても四半世紀、時には一世紀近く生きた人間の人生を出来事のみならず、見えないところまで語るのだから、簡単であろう筈はないのだが(苦笑)。
 まあ。リクエストがあればの話ですがね。何せ四半世紀近く運営して、受けたリクエストは一〇件にも満たない弱小サイトのことです故(苦笑)。


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令和六(2024)年九月六日 最終更新