本作は光栄社刊『爆笑三国志』のパクリです。

帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」

 拙サイト戦国房及び菜根道場を解説したのは平成一三(2001)年一〇月のことで、最初に制作したのが過去作「認めたくない英雄達」と過去作「菜根版名誉挽回して見ませんか?」だった。
 多くの歴史学者や、歴史サイト・歴史動画を制作する人々が同じことを考えたと思うが、従来の歴史認識を正しいものに変えたいと云う衝動が薩摩守にもあった。勿論歴史学者でもない薩摩守に歴史観を大きく変えるなどとても出来そうにないし、あくまで正しく検証・考察を重ねた果てに「正しい」と思われることを訴えたい訳で、歴史観を自分の好きなように捻じ曲げては本末転倒である(←歴史修正主義者への皮肉が込められています)。

 そんな中、薩摩守が参考としたのが光栄社から刊行されていた『爆笑三國志』シリーズだった。そもそも正史である『三国志』からして紀伝体で綴られており、編年体に比して「人」を重視している。
 『爆笑三國志』シリーズは様々な視点から正史である『三国志』及び『三国志演義』に登場する人物をクローズアップして面白おかしく、時に真剣に「人」を論じていた訳だが、その中に「名誉挽回してみませんか?」というコーナーがあり、乱世において敗れ去ったり、没落したりしたことで一般に敗将・愚将・無能とされた人物の優れた面、隠れた長所を論じ、薩摩守的にも大きく同意出来るところがあり、この戦国房に「菜根版名誉挽回して見ませんか?」を作るに至った。

 あれから二三年の月日が流れた。
 世の中には様々な歴史本が流布し、古今東西様々な人物が見直されているの感じる。

 良いことである。

 長所のばかりの人間もいない様に、短所しかない人間もまたいない。そして生まれ落ちた時代背景・価値観等が現代と異なる中、誰もがその人物なりに真剣に生きてきたのである。例え相対的な評価や歴史的功績は変わらずとも、長所も単車も公平公正に見据えられてこそ本当の人物評が為せると云えよう。

 漫画『三国志』の作者である故横山光輝氏は全六〇巻に及ぶ長期連載の当初、登場人物を善玉・悪玉に分けて描こうとしていたが、早期にそれを辞めた。その理由を「そういう時代にそうすることでしか生きられなかった人たちの話だから。」としていた。

 人間が単純な善悪二元論で語られる傾向が薄まり、様々な視点で歴史が語られる傾向が生まれたことで、過去作で採り上げた人物達もそれなりに見直され(特に小早川秀秋の伝記漫画が刊行されたことには驚かされた)、人物ごとに良い面も悪い面もより正確に注目される様になった。
 ただ、一方で気に食わない傾向も散見された。どうしても採り上げる人物や歴史観に自分の好き嫌いが入るので、貶すときは悪意が感じられ、逆に持ち上げるときは無理矢理称揚している感の拭えないことが多くなった(気がする)
 また、自らの歴史観を際立たせたい腹もあってか、トンデモ説や人道上眉を顰めたくなる歴史評を無理矢理持ち出す者も散見されるようになった。薩摩守も承認欲求の強い人間だから、自説を際立たせたい気持ちはよく分かるが(苦笑)、新発見や長年の謎が解明されることで説が際立つべきであって、「説を際立たせるありき」では本末転倒である。

 まあ、これらのことは薩摩守とて無縁とは云い切れない。それ故私は自作において歴史上の人物に対する好き嫌いは予めはっきりさせている。好きな人物は贔屓目に書く傾向があるし、嫌いな人物は貶めた見方をする可能性が充分にあるので、閲覧者の皆々様にはその辺りを差っ引いて各作品を読んで頂きたいと云う気持ちもあり、時折それを訴えてもいる。

 ともあれ、人物に注目する歴史観に思うところあって、改めて「菜根版名誉挽回して見ませんか?」の新作を作りたくなった。今回は少しマイナーな人物にも注目してみたので、拙サイトを立ち上げたときと比してどんな検証を行っているかを注目頂きつつ、私見を楽しんで頂いたり、参考にして頂けたりすれば幸いである。



第壱頁 不肖御曹司編(藤原伊周 藤原隆家
第弐頁 建武過渡期編(高師直 楠木正儀) 【閲覧者リクエスト作】
第参頁 室町創成編(足利直義 足利義詮
第肆頁 御家滅亡編(朝倉義景 斎藤義龍
第伍頁 長州存続編(毛利輝元 吉川広家
第陸頁 人選と今後について


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令和六(2024)年九月六日 最終更新