大恩忘れじ

 『三国志演義』での一コマの話だが、益州(蜀)の別駕(州副長官)・張松は主君・劉璋を惰弱で頼りにならない人物と見限って、荊州の劉備を新君主に迎え入れようとした。
 張松は益州の北方である漢中の張魯が益州侵略を目論んでいたことを利用し、援軍要請に託けて劉備を迎え入れようとした。これに対して多くの家臣が他国の軍隊を国内に入れるのに異を唱えたが、劉璋は援軍を要請することに応じた。
 勿論、劉備も張松を初めとする劉璋配下達に自分のシンパがいることを張松から教えられており、援軍と云う名の侵攻軍を率いて蜀に入った。
 その途中、劉備は劉璋を油断させる為に、「荊州に曹操軍が攻め入ったので帰らなければならない。」と偽りの暇乞いをしたのだが、これを劉備の謀略と気付かず、本当に劉備が引き上げると思った張松は益州の同志達が首を長くして劉備を待っている旨を伝える書状をしたためた。
 ところが、書状を書き上げたところで兄・張粛が訪ねて来て、酒を酌み交わしていた張松は酔い潰れ、その為に劉備宛の書状が兄に見つかってしまった。

 驚いた張粛はこの書状を持ってすぐに弟の叛意を劉璋に通報し、愕然とする劉璋に云った。

 「この張粛、我が君には広漢の太守に任命され、数々の恩を受けています。弟と云えども、これを見逃す訳にはいきません。」

 と。
 この台詞に劉璋は張粛の忠義を大いに褒め、即座に張松邸に捕り方を向けたことで張松は呆気なく逮捕され、張松一家は晒し首となった。
 逮捕される際に、張松は兄が自分の密書を劉璋に届けたことで自分の裏切りが発覚したことを知ると、「そうか………兄にも蜀の明日が読めなかったか……。」と呟いて嘆息した。

 このシーン、人間の絆と云うものを考えるにおいて薩摩守は時々考えさせられる。
 張粛は謂わば、兄弟愛よりも忠義を重んじた訳で、この張粛の選択に対し、「国に仕える者、弟と云えども謀叛を捨て置かなかった張粛は忠義者である。」と肯定的に見て褒める者もいれば、「弟一家を皆殺しにしてまで主君に媚びを売りたかったのか?」と否定的に見て批判する者もいれば、「結果的に劉璋は劉備に降ったけれど、あの段階で上手くいくかどうか分からなかったから、どこかで失敗して一族皆殺しの憂き目を見るよりは、自分の手で弟一家以外の一族を守る為に止むを得なかったんじゃあ……。」と現実的な視点で見て善悪を断じることの出来ない者もいよう。

 薩摩守的には、単純に「君恩」と「兄弟愛」を秤に掛けた結果だと考えている。劉璋配下の中にはさっさと劉璋を見限って劉備についた者もいれば、戦場で捕らえられて降伏した者もいれば、命を落としても劉璋への忠義を貫いた者もいれば、劉璋降伏後に劉備に従った者もいた。
 個人的感傷では徹底的に劉璋に忠義を尽くした者を褒めたいが、様々な時代背景や戦況から単純な善悪は語れないと思う。それゆえ、張粛も苦渋の決断で弟の離反を密告したと思うし、張松も兄の選択にがっかりしつつも、恨んではいないと思いたい。

 そんな中、薩摩守が張粛の発した単語で注目するのが「」である。
 国家に忠義を尽くす立場でもなければ多くの者が国よりも身内を重んじるだろう。しかし中国でも日本でも国への忠義を尽くす者は時として親類縁者の立場より主君を取った(日本史の例を挙げれば、北条氏政・氏直を裏切った松田憲秀を息子が通報したと云うものがある)。
 一方で、世の中には「恩」に囚われて、法や規則や倫理を踏み躙るという悪しきケースもある。現代でも犯罪者を匿うのは「犯人隠匿罪」に問われるが、「匿ってくれ!」と云って訪ねてきた者が親を始めとする親類や過去に世話になった上司・先輩であれば、犯罪と分かっていて匿ってしまう者は決して少なくないと思う(関ヶ原の戦いに敗れた石田三成や宇喜多秀家を徳川方から罰せられるのを承知の上で匿った者は決して少なくなかった)。
 忠義も孝行も大切な美徳だが、そこに恩義が絡み、「あちらを立てればこちらが立たず」状態になると人は苦渋の決断を迫られる。
 勿論片方を立てれば、立てなかったもう片方を重んじる者達からの痛罵を受けることになる。それゆえ歴史の評価は難しい。
 ともあれ、やはり恩を感じ、それに少しでも報いんとするのは大切なことである。例えば、犯罪者が助けを求めてきた際に、これを匿わずとも説得して自首させることで少しでも罪を軽くするよう図らうことだって恩に報いこそすれ、踏み躙ったことにはなるまい。
 そこで、本作では日本史における恩義に報いた、個人的に好きな美談を取り上げ、考察してみた。



第壱頁 大伴子虫と長屋王………一〇年の時を経た仇討ち
第弐頁 源頼朝と池禅尼・平頼盛母子………一族族滅を回避した恩義
第参頁 足利義昭と織田信長………初めから仲が悪かった訳ではなかった
第肆頁 豊臣秀吉と松下之綱………一飯の情けに報いて
第伍頁 黒田長政と竹中半兵衛・竹中重門………正に「情けは人の為ならず。」
第陸頁 報いれない恩にどう報いるか


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令和四(2022)年一一月一八日 最終更新