「殿中」で「刃傷」!

吉良上野介(きらこうずけのすけ)!この間の遺恨、覚えたるか?!」と叫びつつ、斬り掛かる播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)、

刀を抜かずに必死に逃げ惑う高家肝煎・吉良上野介義央(よしなか)、

そして、「殿中でござるぞ!」と云って必死に内匠頭を羽交い絞めにする梶川与惣兵衛頼照(かじかわよそべえよりてる)。

 所謂、江戸城松之廊下刃傷事件で、吉良に斬り付けた浅野長矩は即日切腹となり、赤穂藩は改易となり、後にその浪士達四七人が吉良を「主君の仇」として襲撃してその命を奪い、それが『忠臣蔵』の元になったのは然程歴史に詳しくない人でも知る話で、今でも師走の風物詩となっている。

 だが、本作で採り上げたいのは仇討ちの美談ではない。
 鯉口三寸抜くだけで重罪とされた江戸城内で「刃傷」と云う重大事件を起こした者達への検証である。
 いくら武士の世とはいえ、戦場での戦闘でもなく、正当な理由を認められた仇討ちでもないのに刀を抜いて人を殺傷するのはとんでもない愚行・蛮行だった。まして江戸時代は既に天下泰平で、将軍のおわす江戸城内において刀を抜く理由が存在する筈もなかった。

 百姓や町人に対する「斬り捨て御免」でさえ、そのルールは非常に厳格だった。
 一度刀を抜きながら斬らんとした相手が軽傷や無傷で逃げおおせれば、「恥を雪げなかった。」として切腹させられるケースがあり、返り討ちに遭おうものなら「武士がそんなことになる筈がない。」として相手の百姓・張人は無罪となり、まっとうな「斬り捨て御免」と認められた場合でも実際には一ヶ月の謹慎が課せられたと云う。
 まして、これが江戸城内で武器を持って暴れたとなれば、「将軍への反逆」と見做され、良くて切腹。悪ければ一族連座。しかも下手人が藩主であった場合には改易となって一族郎党が路頭に迷う羽目になった。

 そう考えると、江戸城内での刃傷はとんでもない厳罰をもたらしかねない愚行で、多少なりとも責任感と云うものがあれば、どんなに腹を立てたところで抜刀自体を厳に慎むべきなのは子供でも分かる話である。
 実際、浅野長矩吉良上野介に斬り掛かったの原因も、『忠臣蔵』で書かれたような吉良の陰湿ないじめへの遺恨ではなく、最近では「痞(つかえ)」と呼ばれる精神病によるものとの見方が濃厚であることは何十年も前からはっきりと述べられている。
 ともあれ、そんなとんでもない事態を招きかねない刃傷沙汰などそう簡単に起こるまい、と薩摩守は考えて調べてみたら……………何と七件も起きていたのだった!

 約二六〇年に及ぶ江戸時代にあってこの件数が多いのか少ないのかは単純には論じられないが、江戸城内刃傷沙汰に限らず、自らの愚行がとんでもない厳罰を招き、一族郎党を路頭に迷わせかねないのがわかり切っている状態でも重罪を犯す者は古今東西枚挙に暇がない。

 なぜ、人は掛かる愚行を犯すのか?

 決して、遠い武士の時代の話だけとは思えず、検証してみた。


第壱頁 豊島明重事件 裏に潜んだ将軍乳母
第弐頁 稲葉正休事件 下手人滅多切りに、御老公ブチ切れ
第参頁 松の廊下事件 最も有名な刃傷沙汰
第肆頁 水野忠恒事件 いつの時代も厄介な心身問題
第伍頁 板倉勝該事件 人違いで殺され、危うく改易?
第陸頁 佐野政言事件 「大明神」にされた怨恨者
第漆頁 千代田の刃傷 犠牲者最大の刃傷事件
第捌頁 厳罰を招きかねない愚行を何故?


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令和五(2023)年五月二二日 最終更新