リトルボギーの死刑執行論

初めに
 オッス!法倫房リトルボギーだ!
 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。

 まず予めお断りしておきたいが、本作は拙房の中でも輪を掛けて辛辣で時に残酷描写が出て来る。誤解を恐れず、本音で語るが、何せ極悪人相手とはいえ、「さっさと殺してしまえ!」と訴えるものだからだ。
 それゆえ、「法に則っているとはいえ、人を殺す話なんて見たくない!」とか、「リトルボギーの残忍性につき合いたくなどない!」と云う方々は閲覧しないことをお勧めする。

 一応、自分の名誉の為に物申しておくが、死刑執行を推奨するとは云え、本作は殺人を嗜好するものでは当然ない。人が死ぬことを喜ぶ性癖を持つ者には読んで欲しくないし、死刑執行(未執行を含む)を巡って元凶の犯罪者の処遇や防犯問題を真剣に考える気持ちを持たれている方であれば、死刑廃止論者の方にも(死刑に賛成しなくていいから)読んで欲しいと思っている。



本題 本作は日本国の現状・刑法における死刑執行を巡る問題点を提起し、死刑が適切に執行されることのみならず、現存する死刑制度が執行を通じて贖罪・再犯防止・犯罪抑止・被害者感情の慰撫に役立つことを願って作ったものである。

 現行の刑法にて、日本国では殺人を初めとする凶悪犯罪には裁判にて死刑が求刑され、死刑判決が下され、上告棄却や控訴・上告取り下げによって死刑が確定した後、「六ヶ月以内に執行」することが定められている。
 そして法務大臣が死刑執行命令書に署名・捺印することで五日以内に死刑が執行される。

 だが、周知の様に、「六ヶ月以内の執行」は全く守られていない

 一応、法務大臣が署名・捺印された後は確実に五日以内の執行が行われているが、結局のところ、法務大臣の判を押す押さないが死刑執行の決め手となるため、法務大臣は死刑執行命令を出さなければ被害者遺族を初めとする死刑賛成派から突き上げられ、死刑執行を命じたなら命じたで弁護士会・人権団体・死刑廃止国からの猛抗議に曝され、酷い時には人殺し呼ばわりまでされる(新聞に「死に神」と書かれた法務大臣までいた)。

 ただ、死刑が執行されないと云う事は何も免罪されることを意味するのではない。
 単なる「先送り」で、中には長く執行されない内に病気や老いで獄死することで「執行」を免れることはあるが、凶悪犯罪者として娑婆に出ることなく命を終えることに変わりはない。
 また、個々人の性格や感情にもよるだろうけれど、執行しないならしないでその間、毎週月〜金曜日の朝に死刑囚は房外の靴音に脅え続ける日々を送る。万一、死刑囚が冤罪であれば、これは物凄く残酷な話である(真犯人であるなら「ざまあ見ろ。もっと怖がれ!」の一言だが)。

 まあ、個々の問題は詳細を後述するとして、まず現状日本の死刑は法令通りに執行されておらず、いつ行われるのか?何故執行されないのか?何をきっかけに執行されるのか?が全くもってあやふやである。
 ただでさえ殺人犯の99%は殺されない(死刑判決を下されない、減刑される)。死刑が確定するまでに多くは最高裁まで争われ、事件発生から何十年も犯人が生き永らえるケースが後を絶たない。
 繰り返される再審請求で、執行がずるずるだらだら引き延ばされるケースも多い。

 少し近々の話をすると、この文章を書いているのは令和3(2021)年10月31日で、この時点で語ると令和元(2019)年12月26日以来、1年10ヶ月もの間死刑が執行されていない。
 死刑が執行されないことで、凶悪犯が裁判で定められた刑を受けずに天寿を全うしたり、高齢な被害者遺族が加害者の死刑執行を待たずに世を去ったり、世の犯罪予備軍が死刑を「無いもの」と見て凶悪犯罪を躊躇わない遠因になったり、と云った弊害が生まれている。

 同時に執行されたケースに対しても投げ掛けたい疑問や意見は山ほどある。
 死刑は何の為にあるのか?
 死刑を執行されることで何が起きるのか?
 適正な死刑執行とは?
 死刑執行をどう活かすべきか?
 執行前後に必要なこととは?

 最終的には死刑判決を下された凶悪犯の一日も早い死刑執行を求める話になるのだが、命が絡む問題故、真剣に論じたものであることだけは事前に明言・宣言しておきたい。



死刑執行の問題一 法令通りの執行
死刑執行の問題二 情報開示
死刑執行の問題三 個々人の裁量
死刑執行の問題四 死刑囚の心情
死刑執行の問題五 冤罪問題との対峙
死刑執行の問題六 執行方法
死刑執行の総合問題


次頁へ
法倫房へ戻る

令和三(2021)年一一月三日 最終更新