戦国ジェノサイドと因果応報

 道場主・菜根道人です。日頃は拙サイトを御愛読頂き感謝致します。このコーナーにおいて冒頭にしゃしゃり出ているのは、下記の内容を見るに当たって今現代の平和に比して、戦国時代という時代が、如何に惨く、厳しく、凄惨な時代であり、現代の平和がいかにあり難いものであるかを閲覧者の方々に再認識して頂きたいからに他なりません。

 正直、こうして呑気に片手間に独断と偏見による拙いサイトを綴り、自由な意見を云っていられるのも現代が平和であるからに他ならず、通信技術の内容に関係なく、現代日本が戦乱の渦中にあれば自らの史観を綴れるにしても、少なからず違った形・内容のものになる事は間違いありません。

 自らの責任や意図の及ばない所で生死が決まるような事が非難されない世の中を招かない為にも下記の歴史の惨さと、そんな惨さが後腐れを残さない筈がない事をお汲み取り頂ければ幸いです。




ジェノサイドは何故に起こるのか?
 どうも、薩摩守です。ジェノサイド(=殲滅、皆殺し)は規模・場合・内容を違えど、古今東西様々な形で世に為されてきました。戦場での蛮行もあれば、一族殲滅を目的とした処刑もあり、目撃者を消す為の証拠隠滅の犠牲も挙げられます。
 その目的の第一は「相手の反撃を完全に防いでしまう」でしょう。
 大名同士・国人同士の争いはその一族を残す事で報復を受ける可能性も残り、直接の恨みを持たない者はその殲滅振りに畏怖し、ひれ伏すか、関わり合いになることを恐れます。
 そういう意味では確かに「禍根を断つ」事は大切であり、相手の命を助けたばかりにこちらが滅ぼされたり(例:平家)、禍根を断たなかったために戦乱を長引かせたり(例:足利尊氏)、統治に困難をきたした例は多い。
 とはいえ、不必要な殺戮―何をもって「必要」と断じるかは難しいいのだが―は新たな報復や新たな警戒、新たな猜疑心、新たな敵を生むことになりかねず、甚だしきは皆殺しを恐れての大抵抗を生み、犠牲が犠牲を生むと言う殺し合いの悪循環が起きます。
 この頁では歴史上におけるジェノサイド=皆殺しを、特に無慈悲な、
・「降伏を認めない」
・「助命を反故にした」
・「責任者も一兵卒も同様に処刑」
・「無抵抗状態を皆殺しにした」
等を条件に定義し(例えば、自らの意志で全滅するまで徹底抗戦した島原の乱はここでは「ジェノサイド」に含んでいません)、ジェノサイドが結果として如何な殺し合いの悪循環を生み、且つ愚かしい軍政であるかを歴史に学びたいと思います。



第壱章 蘇我入鹿…非戦を集団自決へ
第弐章 武田晴信…難治を生んだ捕虜虐殺
第参章 斎藤道三…恩義も血縁もなきにつき
第肆章 織田信長…反故が生んだ不毛
第伍章 川尻秀隆…殲滅への報復
第陸章 伊達政宗…師を激怒させた報復戦争
第漆章 小早川秀秋…蛮勇総大将


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令和三(2021)年五月三日 最終更新