戦国長女

 隆慶一郎の『捨て童子松平忠輝』の一コマにこんなシーンがあった。
 徳川秀忠が、娘・千姫が弟・松平忠輝(千姫にとっては叔父)が懐いているのに苦虫を噛み潰していたのだが、そのシーンに「父親にとって最初の娘は最高の恋人である。しかも異常なほど嫉妬深い男になるのが世の常だ。」という記述があった。
 そういうものだろうか?四〇過ぎていまだ独身ゆえに妻子のいない薩摩守には伝聞でしか知る術は無い。まあ親友・会社の同僚・後輩知人の中に第一子が長女だった者が何名かいるので問い合わせてみるとほぼ全員が強く同意したし、薩摩守が義弟(妹の旦那)と初めて顔を合わせた時、場所が焼肉屋だったので、「彼氏、親父に焼き肉にされるんじゃ……。」半ば本気で心配した(実は既に何年も前から知り合いで和気藹藹としていたが)。

 勿論男にとって息子や次女以降の娘が可愛くない訳じゃない。が、やはり「長女は少し違うな…。」と思う時がある。身内における伯父(叔父)達の従姉妹の可愛がり方を見ていても。
 また父方の叔母は六人兄弟の末に生まれた長女だったから祖父の可愛がりようは尋常じゃなかったらしい。

 俗に戦国時代は「身内でも油断がならなかった。」、「親子で殺し合った時代」、「時として妻子を平気で見殺しにした。」等と云われることが多い。死と隣り合わせの油断ならない時代だったことや、国や一族郎党を背負って非情の決断を迫られることの散見された時代だったことには間違いないが、だからと云って人が皆肉親の情を忘れた訳ではなかった。

 父親を追放した武田信玄はその事実をもって方々で(主に敵対勢力から)とんでもない極悪人呼ばわりされた。云うまでも無いことだが信玄は父・信虎を殺してはいない。名目上は「義兄・今川義元殿の元で病気療養の為に預かって貰っている。」というもので、その為の「療養費」も信玄は義元に支払っていた。
 倫理的に考えるなら豊臣秀吉の甥・秀次一家皆殺しや、最上義光の嫡男誅殺の方が遥かに悪行で、信玄がここまで悪し様に云われるのは儒教思想の影響になるのだが、いずれにしても「追放」でも肉親に対する仕打ちとしては充分に「とんでもない行為」とされたのでから、戦国時代も一般に思われているよりは愛情も倫理も無視された時代だった訳ではなかった。
 というか、無視されるようであれば「政略結婚」等行われず、人質惨殺に対して憤怒も悲哀もなかったのである。娘を嫁に出す親だって、出来れば娘は近くにいて欲しいものだ(婿は舅・姑に遠くにいて欲しいと思うかもしれないが)。

 逆に戦時中でもなく、政略結婚でもないのに親族を虐待する鬼畜はいつの時代にも存在する(残念ながら)。
 まあ古今東西、「時代」で「人情傾向」を一括りにしようと云うのにそもそも無理があるのだろう。
 ともあれ、薩摩守は父親にベタ可愛がりされる傾向の「長女」という存在を見ることで戦国の世の、戦国武将の情愛というものを検証していみたい。
第壱頁 定恵院
第弐頁 黄梅院
第参頁 五龍局
第肆頁 加納殿
第伍頁 淀殿
第陸頁 五郎八
第漆頁 千姫
最終頁 「娘」を巡る様々な局面


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令和三(2021)年五月二六日 最終更新