使者の悲劇
周瑜「何だこの文章は!自分を「漢の丞相」とし、わしを「周提督」と記しているとはどういうことだ!身分を保証すればわしが矛を収めると思ったか?こやつを斬れ!」
これは『三国志』における、赤壁の戦いを前にして呉の水軍提督・周瑜が曹操から送られてきた書状に怒りを示したワンシーンである。このとき、参謀の魯粛が「相互の使者は斬らないのが礼儀。」として周囲の怒りを収めんとしたが、周瑜は、
「戦争に礼儀などあるものか!敵の使者を斬り、敵陣に威を示すのは戦陣の習いだ!」
として、使者を斬り、その首を曹操への返事として従者に持ち帰らせた。
このシーンに限らず、敵対勢力へ徹底抗戦や敵意を示す為に「使者」が「死者」にされてしまう例は歴史に数多く散見される。このとき使者を斬られた曹操自身、陶謙の使者(張飛)、袁紹の使者、劉璋の使者(張昭)、黄蓋の使者(闞沢)等を斬ろうとしていた(実際には斬られなかったのだが)。
推測だが、この三国時代に限らず、敵陣に赴く時点で、使者を任ぜられた者には多かれ少なかれ、敵地で殺されることへの覚悟は持って臨んだことだろう。
何せ、使者の能力・人格に関係なく、主君から託された書状やその内容が敵将を怒らせてしまえばそれだけで斬られる可能性は充分にあった。とはいえ、書状を送る以上降伏勧告であれ、和睦・休戦申し入れであれ、相手と某か話し合う意志があってのことで、使者には激昂する相手を宥め、こちらの云い分を多少なりとも呑ませる役目を帯びて行くわけだから全くの無能者を送る訳にはいかない(内容によってはそれで良いケースもあるだろうけれど)。
古今東西、敵国への使者に発った者の中には、交渉能力が及ばなかったり、只々相手側が聞く耳持たなかったり、主君の書状が無駄に相手を怒らせたり、で「使者」転じて「死者」になり、歴史の中に埋没した者も数多い。
その死は同情されることもあれば、「ドジ踏んだな……。」と侮蔑されることもある。また、命は助かっても相手側から極度の侮蔑や虐待を受けて心身ともに傷ついたり、その後の出世をふいにしたりしたケースもあるだろう。
だが、完全に相手を殲滅することを目的とした殺戮戦でない限り、戦争は何処かで終わらせる必要があり、使者の往来は重要である。それ故に使者を送る側も時としてその人選に頭を痛めるであろうことは想像に難くない。
交渉の成功を期す為には、有能な人物、敵方にも名の通った人物、高潔な人格者を送る必要のあるケースもあり、下手を打てば得難き人材を失うことになる。それでなくても、敵方が使者を害したり、害さずとも過剰に無礼な行為を働いたりすれば、敵味方が激昂して平和や和睦が遠のき、戦闘を凄惨化せしめることになりかねない。
本作では、敵国・敵陣への使者に発ったことで、その場で命を落としたり、帰国は叶っても交渉失敗でその後の冷遇を生んだりした者達の例を検証し、交渉の難しさ、重要さ、何より聞く耳持たずの態度が何も生まないことを世に訴えたい次第である。
第壱頁 杜世忠………ただやって来ただけで問答無用斬首
第弐頁 鳥居強右衛門………生還に失敗するも役目に大成功
第参頁 黒田如水………監禁と息子の危機
第肆頁 酒井忠次………筆頭家老転落の落ち度
第伍頁 陣僧………意思を示すにしてもねぇ
第陸頁 三重臣………先走り思考が招いた猜疑心(工事中)
第漆頁 片桐且元………二枚舌外交に翻弄された傅役(工事中)
第捌頁 揺れ動く生死と忠義(工事中)
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令和八(2026)年五月一三日 最終更新