奮闘!立花藤兵衛

 「『立花藤兵衛』?誰それ?」・・・・・・・・・・・・なんて疑問をこのようなサイトを閲覧される方の中にはいらっしゃらないと信じている。
 もしいるとすれば「これまで特撮物を全然観たことなかったが、道場主・戦国房薩摩守・楽曲房ダンエモン・法倫房リトルボギーのことを徹底的に調査していて、菜根道場のすべてを一言一句逃さずチェックしている内に特撮房を閲覧するようになった者。」なんて人物ぐらいで、ますます存在し得ない(苦笑)

 説明するまでも無いが、仮面ライダー1号仮面ライダーストロンガーまでの「栄光の7人ライダー」及びその関係者から「おやっさん(←本来は「親父さん」だったが、藤岡弘、氏の発音風になまったものが定着した)」、「マスター」、「会長」、「藤兵衛さん」と慕われ、少年仮面ライダー隊を初めとするライダー協力者を取りまとめ、時に厳しく、時に温かく、時に剽軽に、そしていざとあれば自らの命も顧みず、物心両面で栄光の7人ライダーを支えて来た「父」とも「師」とも云える存在だった。

 そのコメディーリリーフ的な演技や、初老の人間であることや、ちょくちょく人質にされることから「凄腕の格闘者」や「スーパーヒーロー」とは映り難いが、立花藤兵衛がいたからこそ解決した例は枚挙に暇がなく、捕えられたライダーが藤兵衛に救出されたことも数知れず、第一期仮面ライダーシリーズに無くてはならない人だった。

 その存在感は圧倒的で、『仮面ライダーストロンガー』終了後も2つの特番に出演し、アニメ『仮面ライダーSD』立花藤兵衛本人のCVを務め、仮面ライダーのパロディーである『仮面ノリダー』『とんねるずの皆さんのおかげです』におけるレパートリーの一つ)でも立花藤兵衛その人として、『仮面ライダー』の第1クルーと同じスナックAmigoのマスターを演じていた。

 そして、惜しくも平成8(1996)年8月27日に小林昭二氏が肺癌のために享年65歳で逝去してもその存在感は些かも衰えていない。
 平成12(2000)年放映の『仮面ライダークウガ』では、主人公・五代雄介(オダギリジョー)の恩師として、井上隆志氏演ずる立花小学校の神崎昭二先生が準レギュラー出演していたが、この客ター設定は明らかに故小林氏並びに立花藤兵衛に由来するものである。
 平成17(2005)年放映の『仮面ライダー響鬼』では下條アトム氏が「おやっさん」とよばれる立花勢知郎というキャラクターを演じ、劇場版ではその先祖である立花藤兵衛を演じていた。これを「立花藤兵衛とは何の関係もない偶然の一致。」と云い張る奴がいたら見てみたい。
 同年の映画『仮面ライダー THE FIRST』では、オートバイショップ「立花レーシング」の主人で、サイクロン号を製造したり、本郷猛(黄川田将也)の助言者を務めたりしていた立花藤兵衛がいた。尚、演じたのは宮内洋氏であった(←「この人が誰かは説明しないけど、いいよね?答えは聞いてないけど(リュウタロス風)」)。

 そして仮面ライダーZX のリメイク漫画でもある『仮面ライダーSPIRITS』及び『新仮面ライダーSPIRITS』ではデルザー滅亡後、一線を引いてバイクショップの主人であった立花藤兵衛がバダンの日本侵攻を機に、ライダーや滝和也達との再会を涙ぐんで喜んだり、名トレーナー振りを発揮して村雨良を厳しく鍛えたり、傷ついた風見志郎や城茂を必死にサポートする、小林氏在りし日の立花藤兵衛が当時と変わらぬ人格・活躍を披露している。
 たとえ小林氏の死後何十年経とうと、新作になじみのキャラクターが出演しまいと、「立花藤兵衛」の名前は仮面ライダー史における不滅の地位を既に築いている。

 この文を綴っているのは平成26(2014)年6月である。
 後2年チョットで小林昭二氏がこの世を去って二〇年になるタイミング的には少し早くはあるが、今回はこの不滅の名脇役の魅力をクローズアップさせたい。



その1.名トレーナー
その2.経済力
その3.経営力
その4.メカニックエンジニア
その5.バックスタブ
その6.身投げ
その7.カリスマ
終わりに・・・戦い終えて朝が来た


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令和三(2021)年六月一〇日 最終更新