注目の夜討ち集
夜討ち………夜襲、夜駆けとも称される。読んで字の如く、夜に襲い掛かる訳だが、単純に夜間戦闘を意味する夜戦とは異なる。
人間が就寝しているであろう時間の、疲労や油断や寝起きによる満足に動けない状態に漬け込む襲撃で、大義名分を振りかざして(一応は)正義の戦いに挑む者にとっては好ましくない戦法なのかも知れない。
しかしながら、戦争に勝つ為に手段を選んでばかりいられないのも事実で、狙いが当たれば夜討ちは極めて有効な戦法で、歴史上大勝利に繋がった夜討ちは枚挙に暇がなく、これは様々な奇襲にも同じことが云える。故に、古今東西夜襲が敢行された例は非常に多い。
『三国志演義』にて、魏の曹操が漢中を攻めた際、先鋒の夏侯淵と張郃が着陣したその夜に敵方の夜襲を受けて大敗したが、曹操から、「許せん!何の為に御主等に先陣を任せたと思っている?御主等が戦場の場数を踏んでいるからではないか!「遠路の疲れ勢は陣からの夜討ちに用心」という兵法すら弁えてなかったのか?」と激怒され、両将はあわや打ち首という危機に瀕するという場面があった。
また同書で蜀の丞相・諸葛孔明が魏の大都督・曹真と初めて対峙した際に、夜襲を敢行しているが、周囲の諸将は歴戦の勇将・曹真に単純な夜襲が通じるか訝しがった。孔明自身、「普通にやったのでは通じない。」として、策を駆使することで成功させたのだが、同書のこの二つのシーンを見ただけで、夜襲という物が如何にポピュラーな戦術だったかがよく分かる。
とはいえ、夜討ちは簡単な話ではない。そもそも人間は基本的に夜目が効かない(それが狙いでもあると云えばそうなのだが)。
「闇に眼が慣れる。」とは良く云われるし、実感した経験を持つ人も多いと思うが、それは僅かでも光がある状態での話である。完全に遮光された空間では鳥でなくても人間は何も見えない。車の運転が出来る方なら、同じ夜間でも街灯や宅内から漏れる灯りのある街中と、周りに街灯もない山道を走るのとでは全然走り易さが違うのを経験されたことのある方も多いと思う。うちの道場主もかつて群馬の山中を夜中にバイクで走ったことがあったが、バイクのライトは四輪車のそれよりも小さく、照らす範囲も狭く、本当に危険だった。
つまり、夜襲は攻撃を受けた側も大変だが、攻撃する側も普段より戦いにくい勝負を強いられる。三方ヶ原の戦いにおいて大勝した武田軍は敗走する徳川家康の悔いを狙って追撃する際に合言葉を決め、それに応えられないものを敵と見做して攻撃したが、このとき武田軍の中にも咄嗟に応えられなかったり、口籠ったりしたために友軍に殺された者が何人もいたという。
今回はそんな夜討ちの大変さ、難しさ、有効性、一面で囁かれる卑怯度合いについて検証してみたくて制作したものである。
第壱頁 保元の乱……卑怯か否か
第弐頁 源頼朝挙兵……初戦でそれ?
第参頁 富士川の戦い……平家落ち目の象徴
第肆頁 河越城の戦い……日本史上三大夜襲の一つ(工事中)
第伍頁 厳島の戦い……中国覇権逆転劇(工事中)
第陸頁 本能寺の変……是非に及ばず!(工事中)
第漆頁 本町橋の戦い……はい、依怙贔屓で加えました(工事中)
最終頁 何故、「夜討ち」なのか?(工事中)
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令和七(2025)年一月三日 最終更新