戦国の鬼達

 戦国時代とは、日本中で戦が相次いだ時代だった。
 時の軍事政権である室町幕府に有力大名を統制する力がなく、征夷大将軍―管領―守護大名−守護代―国人領主−地侍−武装農民が様々な形で相争った血腥い時代でもあった。それゆえ武術・戦術等の戦闘に強いのは立派な能力で、例え現代において危険極まりない人格破綻者であっても戦に強ければ重宝された。

 ま、それは極端な物云いとしても、戦闘に強いことは重要且つ尊敬の対象で、武勇を讃える代名詞の一つにがあった。

 一般に「」と云えば、二本の角を生やし、厳つい面相に虎皮の腰巻を纏い、鋲を多数打った金棒を持った巨漢が想像されるが、赤鬼を初めその種類(強さ・体格・編成・能力・在り様)は実に様々で、「」は時に悪魔で、時に神でもある。「」に擬えられることの意味は現代においても単純ではない。
 「」とあだ名される人が側にいることを敬遠・忌避する人も多いだろう。だが、一方で「鬼コーチ」に指導されることを望み、「鬼上司」を何かと頼り、「仕事の鬼」は誰からも重宝され、「の様に強い奴」を頼もしく思うケースも少なくない。

 共通しているのは、「強さ」と「厳しさ」であろう。

 必然、戦国の世には「」が求められ、多くの猛将が「」の名を冠せられた。
 だが、これまた必然的に「」は恐れられ、時に嫌われた。特に戦国の世が終わりに近づいたり、危急存亡の秋を脱したりした家中では「」は「もう不要」としてそれまでの重宝振りが掌を返した冷遇に変じたりもした。

 本作ではそんな「」と呼ばれた者達の活躍と、彼等を取り巻いた環境を考察し、何ゆえに彼等は「」だったのか?を論じたい。
第壱頁 柴田勝家‥……徹頭徹尾の猛将人生
第弐頁 吉川経基‥……戦闘力も生命力も鬼並
第参頁 佐竹義重‥……強弱を見抜く慧眼も「鬼」並
第肆頁 本多重次‥……鬼と仏とどちへんなし
第伍頁 井伊直政‥……最後の赤備え、最後の赤鬼
第陸頁 原虎胤‥……激しさと繊細さを併せ持った鬼美濃
第漆頁 森長可‥……弟と対照的な鬼振り
第捌頁 島津義弘‥……鬼の威名は海を越えて
第玖頁 鬼と悪魔の相違


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令和三(2021)年六月一〇日 最終更新