師弟が通る日本史

 人間はどんな孤独な存在でも全くの独力で生きていることは殆どない。道場主は八年チョットの間地元を離れて関東にて一人暮らしをしていたが、独力で生きているつもりでその実、実に多くの人々の助けを借りて生きていた事を痛感しており、再び故郷にて家族と過ごしている今は離れてそれが分かる故に地元関東の双方に世話になった多くの人々に感謝している(その感謝に対してどれほどのことが出来ているか甚だ疑問だが)。
 勿論道場主に限らず、人が人として生きていく上において能力や社会的地位の高低に関係なく、独力と云うことは殆どなく、それゆえに感謝しなくてはならない多くの存在がある。
 それは時に両親兄弟を始めとする親族、時に国家・職場・学校を始めとする社会、時に友人・知人・好敵手・恋人を始めとする喜怒哀楽に根差す対人関係であったりする。そしてその中には「師」と呼ばれる存在が欠かせない。

 お釈迦様も孔子もイエス・キリストも自らは書を残さなかったが、その示した道に学び、尊敬崇拝する者達が書に残した様に、心から師事する者の存在は大きく、それは古今東西同様である。

 古代ローマ帝国の暴君ネロも師・セネカが存命し、師事している間は名君振りを発揮し、暴君の代名詞とされる殷の紂王も師である聞仲太師に対しては暴君となった後でも一定の敬意と畏怖を持っていた。
 三国志の英雄・曹操の部下の夏侯惇(かこうとん)は師を侮辱した人物を殺害した過去を持ち、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスは若き乱暴者時代に師を撲殺した事を最大の悪行とされた。
 かように師弟の持つ対人関係は重く、英雄も姦雄も師に大きな影響を受けた者、師と向かい合う姿勢に性格や偉業の片鱗が見え隠れしている者も多い。
 そこでこの頁では例によって戦国時代を中心に日本史上の有名人物の師弟関係とその関係が反映した歴史の動きに注目したい。


第壱頁 平手中務太輔政秀と織田信長
第弐頁 太原崇孚雪斎と松平元康
第参頁 飯富兵部少輔虎昌と武田義信
第肆頁 虎哉禅師と伊達政宗
第伍頁 細川頼之と足利義満
第陸頁 大竜和尚(海山元珠)と鉄牛
第漆頁 朱舜水と徳川光圀
第捌頁 新井白石と徳川綱豊

リクエスト版 第壱頁 長野主膳と井伊直弼


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令和三(2021)年四月二二日 最終更新