未発見の「遺体」は何処に?

 「人類の歴史は戦争の歴史」は良く人口に膾炙する悲しい現実である。戦争の名前を箇条書きにて書き出すだけでほぼそのまま歴史年表になる。
 当然、それ等の戦争で命を落とした人々の名前は星の数にも匹敵する。一方で、知らないまま歴史から姿を消した人間もまた星の数程いる。

 単純に歴史的な注目度が低かった故に、生まれた時の状況や、死亡時の様子が記録に残らなかった人物も少なくないが、中には歴史上にそこそこの存在感を持ち、確実にその足跡を留めながら、いつ、どのようにして亡くなったのか不明な人物もいる。
 そんな中、本作で注目したいのは戦場に果てたのがほぼ確実視されながら、「遺体が見つからなかった者」、「遺体は見つかっているが本人か否か判別不能な者」、「遺体すら見つかっていない者」、「そもそも生死不明のまま歴史から消えた者」を採り上げた。中には「遺体は見つかっているが首級が行方不明」、「そもそも死に様がはっきりしない」と云った者や、戦とは関係なしに行方を絶ったままの者も含まれる。

 亡くなった人を「仏様」と称し、極力悪く云わないことを文化とした日本にあっては、惨殺刑に処し、遺体を晒し者にした場合でも、一定の仕置きが終われば一応の弔いを行うことが通例である(禁止しても黙認することが多い)。
 そんな文化を持つ国にあって、何時何処で命を落とし、その遺体が何処にあるのか分からないと云うのは実に悲しい話である。本作では歴史上に「遺体すら見つからない………。」という譲許に陥った人物に注目し、何故にそのようなことになったのかを考察し、かかる悲劇を繰り返さない為の教訓としたい。何せ、「遺体すら見つからない………。」、「何処に行ったのか分からない………。」ということは、八〇年近く戦争をしていないこの国の日常でも時々生じているのだから…………。



第壱頁 天智天皇………正史に書かれていない、沓を残しての行方不明
第弐頁 織田信長………宣言通り、髪の毛一本残さず
第参頁 明智光秀………届いた首は、皆偽物か?
第肆頁 大谷吉継………追われなくなった首級の行方
第伍頁 明石全登………見事に絶たれた行方。自害の可能性なし
第陸頁 豊臣秀頼………完膚なきまでに焼き尽くされて
第漆頁 天草四郎………母の号泣だけが手掛かり?
第捌頁 辻政信………謎が謎を呼ぶ二度目の失踪
最終頁 完全消失の恐怖


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令和五(2023)年三月一七日 最終更新