毒親
かつて、「偉人達の親」という物を作った。歴史に名を為した英雄の「親」故に知名度はあるものの、如何なる人物か余り実像が有名ではない人物を取り上げたが、歴史に対する直接的な影響が少ないものの、やはり英雄となった息子の成長に対してかなりの影響を為す者が多かった。
かように、個人に対する「親」の影響は大きなものがあるのだが、それは良い意味においてのみではない。中には性格の悪さや方針のとんでも無さから悪影響を及ぼしまくったり、それが「反面教師」として機能したりした、所謂、「毒親」も歴史上には散見される。
「毒親」を持った子供は間違いなく不幸である。
勿論親が「毒親」であるという事がすべてを決定する訳では無く、そんな親に育てられたことに負けず、能力・人格を磨き、立派な人物となった者は歴史上枚挙に暇がない。だが、総合的な成功や幸福を勝ち取ったとしても、親を「毒親」と見做さなければいけないこと自体は不幸である。
とはいえ、我が子に対して好き好んで「毒親」になる親などまずいない。例え自己中な性格で我が子の為にならない行動を取り、自業自得で嫌われる様な者でも、嫌われることを(反省はせずとも)喜ぶ親もいないだろう。
そして歴史を見るにおいてやはり気を付けなければならないのは、軍記物や大河ドラマなどの影響で、悪役を振られた人物を色眼鏡で見ている可能性である。勿論相当に誇張されたものだったにせよ、「毒親」の役を振られる様な人物は相当な欠陥があったのは確かである。だが、それを云い出せば、英雄視される人物だって欠点はあるし、親として完璧だったかどうかは定かではない。
「毒親」にも、我が子に「それでも親か!」と云いたくなる程の酷いふるまいをすることで「毒親」とされる者もいれば、とてつもない「負の遺産」を子々孫々に残したことで「毒親」とされる者もいれば、とんでもない欠陥人間故に多くの人々から悪し様に云われ、我が子にすら嫌われたことで「毒親」と呼ばれた者もいる。勿論、子の方で逆恨みしたことで「毒親」呼ばわりされたケースもあろう。
いずれにせよ、親が子に与える影響は極めて大きい。それゆえ、今回は決して趣味の良い話ではないが、「毒親」と呼ばれた者について注目した。
第壱頁 鳥羽天皇 露骨な報復
第弐頁 北条時政 子孫達から初代と認められず
第参頁 後嵯峨天皇 南北対立が延々と続いた元凶
第肆頁 足利義政 戦国時代突入のA級戦犯
第伍頁 武田信虎 暴君伝説が投影された?
第陸頁 斎藤道三 「蝮」と呼ばれた男への応報(工事中)
第漆頁 最上義光 愛情が強過ぎた?(工事中)
第捌頁 徳川秀忠 チョット、云い過ぎかな?(工事中)
最終頁 「毒親の子」、必ずしも「毒人物」ならず(工事中)
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令和七(2025)年一一月二三日 最終更新