降伏は幸福か?

 極めて下らない駄洒落の様な表題で申し訳ないが、一応は真面目な歴史考察である。
 降伏…………大雑把に云って対戦相手に自己及び自軍の敗北を認め、武力抵抗を放棄し、相手の要求(支配・賠償・土地の割譲・頭領の首・その他諸々)を受け容れることを意味し、度合いは様々だが、多かれ少なかれ屈辱を甘受しなければならない。

 と云うのも、降伏は敗北の中でも相手に屈する度合いが大きい故である。
 例えば、日清戦争で清は日本に敗れたが、降伏した訳ではない。下関条約の内容を見れば清国的には大惨敗に等しい屈辱に塗れたものだが、日本の要求を受け入れることで日本と和解し、戦争状態に終止符を打った訳で、国家体制も国家主権もそのまま残された。
 一方、太平洋戦争における日本のポツダム宣言受諾は「国体護持」だけを条件としたほぼ全面的な降伏で、天皇制こそ残ったものの、国土は進駐軍の占領下に、国政はGHQによって立法・行政・司法の三権が掌握され、「大日本帝国は滅んだ。」と表現されることもある。大日本帝国が日本国となったことが日本人にとって良かったかどうかは個々人の価値観によって大きく異なるが、その後の日本が平和な経済大国としてそれなりの繁栄を遂げたのは事実だ。
 だが一方で、サンフランシスコ平和条約締結による独立まで日本人が占領下の屈辱に塗れたのは事実だし、今でもアメリカ様の顔色を窺わなければならない現状に屈辱を感じる人は少なくないだろう。

 ただ、降伏したからと云って、屈辱を味わったからと云って、その後が必ずしも不幸とは限らない。
 特に内戦の場合、横暴な君主が倒され、善良な新君主の支配下に入ることで以前よりも豊かな暮らしを送れるようになった例は枚挙に暇がない。
 外国の植民地にされた場合でも、自国より遥かに進んだ占領国の施策・開発を受け入れることで産業・インフラが飛躍的に向上して例も多い。
 ただ、これは占領国が自国の利益の為にやったことなので、結果的に被占領国の利益になったとしても、支配された側が支配した側に感謝する必要はない(飛躍した事実を認めた上で結果自体を享受するのは全然良いと思う)。

 ただ、降伏は難しい。
 「これ以上抵抗してもいたずらに犠牲が増えるだけだ……。」などと考え、戦闘によるそれ以上の被害を避ける為に降伏を受け入れることが多いと思われるが、状況により突き付けられる要求は千差万別である。
 軍や国家のトップが命を取られるだけならまだしも、国の要衝(交通の要地・鉱山・肥沃地帯・優良な商港)の割譲を迫られたり、国家や民族ごと相手の支配下に置かれて奴隷に等しい扱いを受けたり、占領軍の落花狼藉に反論さえ許されなかったり、とどんな屈辱が待っているか分かったものでは無い。

 当然、屈辱を受け入れることが出来ず、徹底抗戦の道を選ぶ者も少なくなく、玉砕する者・国家を滅ぼす者もいる。
 戦争状態であるから、降伏を迫られるまでにはかなりの痛手を被っている筈で、それまでに戦死した将兵への想いから降伏出来ない者もいれば、単純に意地で降伏しない者もいるだろうし、条件が折り合わないことあるだろうし、降伏後の敵国支配への不安から踏み切れないこともあるだろう。
 理想は、敵方に、「これ以上追い込んで徹底抗戦されたら我が方にもどれだけの被害が出るか分からないから、大人しく降伏するなら寛大な処置に留めよう。」と思わせ、講和に近い降伏が出来ることだが、そこまで都合の良い状態に持っていけるようなら、そもそも戦争に負けない(苦笑)
 敵にある程度「手強い」と思わせないと降伏後にどんな要求を突き付けられるか分からないが、かといって抵抗が過ぎると戦闘中の恨みから降伏後に報復的な占領に曝されることも有り得る。

 同時に降伏を要求する側にとっても簡単な問題ではない。
 終戦に至るまでの戦闘の苛烈さによっては敵軍に対する恨み骨髄で苛斂誅求を課したくなるケースもあるだろう。だが、下手に追い込めば玉砕覚悟の敵軍は徹底抗戦で自軍にどれだけの被害をもたらすか、という問題が出てくる。
 偽降だって有り得る。まだまだ戦闘継続能力がありながら、当面の勝算が薄いので面従腹背で負けを認めたように見せかけて戦力を密かに保持し、反撃の機会を虎視眈々と伺っているケースだって充分有り得る。そうなると降伏後に相手の反撃を避ける為に行う要求に相手が素直に従うかどうかも分からない。

 ただ、例えカッコ悪くても、降伏は戦時における重要選択肢である。
 それは負けた時だけではなく、勝った時でも相手の降伏をどう受け入れるかを間違えれば様々な反故や遺恨を生みかねない。一兵卒にも自己の良心に従って戦闘を放棄する権利を認めないのは個人の人格を殺し、殺人マシーンにしてしまう恐ろしい洗脳でしかない
 その最悪の例が太平洋戦争時における大日本帝国陸軍であろう。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」の戦陣訓は、戦士・兵士にとっては誇りを重んじ、決して敵に屈さない崇高さをもたらし、兵卒を強くした面もあるだろうけれど、旧日本軍はこれを過剰に重んじ、この教えを「当然のこと」とし、その基準を国民や外国兵にまで(無意識の内に)強いていた。

 沖縄戦ではそれが遠因近因となって集団自決の悲劇が続発した(←軍隊による自決命令を否定する人々もいるが、仮に直接命令がなかったとしても、当時の軍隊の空気が降伏より自害を選ばせたのを完全否定するのは無理があろう)。
 また、ひめゆりの塔資料館には犠牲となった女学生の遺影と、彼女達の最期の状況を記した文を見ることが出来るのだが、そこには米兵に「私は皇国女性だ、殺せ!」と詰め寄って射殺された例(二人)が見られる。降伏を許さない軍国主義教育が無ければ女学生の犠牲はもっと少なかった筈である
 南洋諸島では委任統治領の日本人非戦闘員が降伏を拒んで、「万歳!」を叫びながら何人も断崖絶壁から飛び降り、かかる悲劇の地は米兵から「Banzai cliff」と呼ばれた。
 フィリピンでは捕虜となった米比兵が猛暑の中、長時間移動させられ、飢えと疲労で多数の死者が出た、所謂、「バターン死の行進」と云う悲劇が起き、これには日本兵の死者もいた。かかる悲劇が起きたのは、上述の戦陣訓の為に「降伏する」と云う概念のない日本軍にとって、予想と軍のキャパシティーを遥かに上回る捕虜を得てしまい、食料の不足から捕虜達を遠方の基地に移動させなければ食べさせられない状況に陥ったのが原因だった。

 「降伏しない!」、「降伏を認めない!」、「敗北より死を選ぶ!」は耳に心地良いかも知れないし、一個人の信念に殉ずる分にはその人間の生き様だと思うが、すべての敵味方に対してこれを否定し、選択肢から外してしまうのはただただ殺戮を広げる悪しき教えでしかない

 随分前置きが長くなったが、戦史の中に失われた数多の御霊を重く受け止め、歴史の教訓とする為にも、本作では日本史上における数々の「降伏」に注目し、その背景、その後の経過、屈辱に耐えた人々の尽力を考察していきたい。
第壱頁 安部頼時………降伏は都合が悪かった?
第弐頁 顕如………粘り勝ちに等しい降伏?
第参頁 松永久秀………降伏の達人が最後に拒んだ降伏
第肆頁 足利義昭………徹底的に生き残る!
第伍頁 島津義久………抗戦と降伏の硬軟両面
第陸頁 北条氏直………実父と岳父の狭間で
第漆頁 徳川慶喜………日本人同士で争うぐらいなら
第捌頁 榎本武揚………見果てぬ北方の夢
第玖頁 昭和天皇・鈴木貫太郎………和平反対派への乾坤一擲
最終頁 降伏と和睦の相違


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令和四(2022)年一〇月五日最終更新