「大敗」を検証

 戦国時代とは、名前の通り日本各地を武力支配していた諸「国」が覇権を巡って「戦」った時代である。当然大小幾多の戦争があり、勝者と敗者が生まれた。
 ただ、その勝ち負けは千差万別である。関ヶ原の戦いの様な天下分け目の戦いもあれば、大坂夏の陣の様に戦乱の終結となった戦いもある。勿論多くは小競り合いの域を出ないもので、「勝った!」と云っても領地を何とか守れただけで、犠牲の多い辛勝もあれば、「負けた……。」と云っても砦や敵陣を突破出来ずにさっさと引き上げたレベルのものもある。

 とは云え、戦である。
 勝とうが負けようが味方に犠牲者が出るのは避けられない。まして負け戦、それも「大敗」となれば人材・要地・勢力・自勢力内の団結等、多くを失うことも珍しくない。殊に総大将の首を獲られたり、居城を失ったりした際の被害は甚大であるし、一敗でも御家滅亡となれば取り返しがつかない。

 そんな考察の下に本作にて注目したの「敗戦」、それも「大敗」である。

 勝敗は兵家の常で、凡そ負け戦を経験したことのない戦国大名など殆んどいない(例外・北条氏康)。一方で、その「負け戦」にどう処するかでその後の運命が決まった者も少なくない。
 勝ち戦でさえ、論功行賞を誤れば身の破滅を招きかねない。それを負け戦ともなれば、その一戦で滅びたのではない限り、猛省と共に立て直しが非常に重要である。本作で採り上げる戦では、「大敗」した側に注目し、「大敗」に対して武将達がどう処したのか?その「大敗」が後々どう影響したのか?「大敗」に何を学んだのか?を検証してみた。

 「大敗」を「大失敗」に置き換えれば、掛かる検証の重要性は現代においても同様と薩摩守は考える。


第壱頁 上田原の戦い…………信玄、ただ一度の大敗
第弐頁 月山富田城の戦い………無気力化の始まり
第参頁 姉川の戦い………本当に大敗したのは誰だ?
第肆頁 三方ヶ原の戦い………屈辱と学び
第伍頁 長篠の戦い………新兵器と結束問題
第陸頁 人取橋の戦い………怨恨と奇跡
第漆頁 関ヶ原の戦い………必勝陣形は何故崩れた?
第捌頁 鳥羽・伏見の戦い………時代を決定付けた敵前逃亡
第玖頁 ミッドウェーの戦い………空母全滅と制海権・制空権喪失
第拾頁 災凶における身の処し方
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令和六(2024)年一月一日 最終更新