本作タイトルは光栄社刊『爆笑三國志』の一コーナーのパクリです。


裏切り者の譚詩曲

 「裏切り者」という単語に嫌悪感を抱く人は多いだろう。また人から「裏切り者!」と罵られて心地よく感じる人はまずいまい。明らかに自分に非がある場合でも、罵りの程度によっては反論したり、止む得ぬ事情を弁明したり、場合によっては逆ギレして相手にこそ全面的に非があることにしたくなる…………それほど「裏切り」並びに「裏切り者」という言葉が持つイメージは悪い。

 だが、歴史を紐解くとそんな「裏切り」や「裏切り者」が枚挙に暇なく出てくる。それは取りも直さず、「人類の歴史」が「戦争の歴史」で、「兵は詭道なり」(by『孫子』)と呼ばれる戦争が卑怯の雨霰に裏打ちされているからだろう。流血を伴わずとも、盟約や血縁を絶交したものまで「裏切り」に含めたら、「裏切ったことのない奴」なんて存在しない。
 それゆえ、史上の「裏切り者」達が為した「裏切り」の動機は千差万別である。
 ある者は追い詰められて止むに止まれず主家を裏切り、ある者は利に釣られて盟約を反故にし、ある者は最初から計算づくでそれまでの味方に刃を向けた。

 また「裏切り」・「裏切り者」に対する嫌悪の度合いもケース・バイ・ケースで大きく異なる。裏切った対象が元々信用の無い盟約だったり、元来は敵だったり、切羽詰まっての裏切りだったり、通告等のワンクッションを置いた上での行為なら嫌悪感は薄い。
 逆に裏切った対象が血縁だったり、累代の主君だったり、利に釣られての裏切りだったり、直前まで味方を装っての土壇場的な裏切りだったら嫌悪感は殊更強くなる。

 そこで本作で、例によって薩摩守の独断と偏見により、歴史上の事件における裏切り者、中でも卑劣度において注目すべき者達を取り上げた。
 勿論単純に罵るのが目的ではない。彼等は充分に罵られている。
 どちらかというと、「罵りの度合いは妥当か?」、「同情すべき事情はなかったか?」、「何故裏切らざるを得なかったのか?」、「裏切った結果、どんな因果応報が待っていたのか?」等を歴史の教訓としたくて取り上げ、検証してみた。
第壱頁 『平治の乱』と長田忠致………丸腰を狙った悪質さ
第弐頁 『和田合戦』と三浦義村………因果は数十年後に
第参頁 『嘉吉の変』と赤松満祐………深読み?勇み足?の先手必勝
第肆頁 『大寧寺の変』と陶晴賢………計算通りの誅殺と計算外の犠牲
第伍頁 『永禄の変』と三好義継………若き急造当主と内紛巻き添え
第陸頁 『朝倉討伐』と朝倉景鏡………ろくでもないその末路
第漆頁 『武田崩れ』と穴山梅雪・木曽義昌・小山田信茂………ろくでもないそれぞれの末路
第捌頁 『本能寺の変』と明智光秀………戦国裏切り者の代名詞
第玖頁 『小田原征伐』と松田憲秀………家臣が主家を、子が父を
第拾頁 『関ヶ原の戦い』其の壱と小早川秀秋………優柔不断ゆえの罪悪感?
第拾壱頁 『関ヶ原の戦い』其の弐と赤座直保・小川祐忠・朽木元網・脇坂安治………備えの筈が裏切り加担
第拾弐頁 嬉しい「裏切り」と嬉しくない「裏切り者」


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令和三(2021)年一〇月一日 最終更新